内容説明
近代に入って発見され、さまざまに意味づけられてきた「子ども」は、本当に保護されるべき受動的な存在なのか? 駄菓子屋や黎明期の子どもの読み物などから、社会に積極的に参加していた子どもの姿をさぐり、21世紀の子ども観を展望する。
※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
目次
第1章 「児童の世紀」の光
1 二十世紀の夜明け
2 近代の矛盾とエレン・ケイの祈り
3 「児童の世紀」の光
第2章 「児童の世紀」と読書の喜び
1 精神の自由の獲得──近代公教育の普及と識字率
2 読む楽しみを知る──子どもと教科書
3 出版の近代化と近代読者の誕生
4 十九世紀末の子どもの読書体験
5 子どもの読み物の誕生──『こがね丸』の出版
6 子どもの読み物の黎明
第3章 子どもの消費生活と駄菓子屋
1 小波の生活と金銭
2 子どもの小遣い
3 ハレの日の縁日、ケの日の駄菓子屋
4 樋口一葉の駄菓子屋
5 駄菓子屋の誕生
第4章 「児童の世紀」の影
1 統制・禁止の対象になった子どもの読み物と駄菓子屋
2 〈子どもの領分〉に閉じ込められて
第5章 ふたたび光を求めて──個性としての〈子ども〉
1 大人と子どものバリア・フリー
2 権利の主体としての子ども
3 〈子ども〉という個性あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
肉ちゃん
0
近代化による<子ども>の発見は教育されるべき存在である対象である<子ども>を作りだしたが、大人と子どもという二分法を強化する形となり、子どもの権利は縮小される。<大人>の問題、<子ども>の問題は分離し、お互いを締め出し合う。教育は「プロテクシアン」「エデュカシアン」を強調されることで、子どもはあらゆる事項を「子ども性」に反する、と大人たちによって規制される。駄菓子屋での買い食いという資本主義的な消費行動は「まだ早い」とされ禁じられていく。これは子どもの「子ども性」純真さを信仰しすぎた結果でもあった。2013/06/28