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内容説明
滑稽、悲哀、苦悩、歓喜、陶酔……。奇蹟としか言いようのない深い洞察力によって人間のあらゆる感情を舞台の上に展開させたシェイクスピアの全劇作を生きた日本語に移した名翻訳。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
392
初演は1604年か。だとすれば、『ハムレット』や『ヴェニスの商人』などよりも後。けっして初期作品とは言い難いだろう。それにしては全体の劇としての完成度が低く見える。登場人物たち、とりわけ苦境に立たされているクローディオや、その妹のイザベラの葛藤が高まりを見せないままに終結してゆくことがそうである。また、公爵のイザベラへの唐突な求婚も納得しがたい。他にも、こうした欠点めいたものは多々指摘できるのだが、そもそも悲劇と喜劇とでは、その構成原理が根本的に違っていたのだろうか。2022/01/02
まふ
103
自分の留守に代理者がどのような振舞をするか試す、という筋書きは他の作品でも出てきたように思う。公爵の神父への変装やアンジェロの改心などもぎごちなく、公爵の最後の裁定なども唐突であり、劇全体のぎくしゃく感が気になった。エリザベス2世が崩御したころ(1604年)の比較的後期の作品であり、ネタ切れを想起させるようなパターン化されたシナリオによる作品である。シェークスピアもくたびれていたのかもしれない。2023/09/14
松本直哉
17
権力を利用したセクハラの動かぬ証拠を出されてもシラを切るアンジェロに財務省の福田次官がダブって見えた。彼の罪を暴くお膳立てをする公爵の策略も何かわざとらしく、おまけに結末でイザベラに求婚、これはアンジェロと同罪ではないか。尺には尺をということで丸くおさめたつもりだろうが、本当に必要なのは杓子定規でない慈悲と優しさなのではないか。問われているのはイエスの時代と変わらない「君たちの中で無罪のものがまず女に石を投げよ」なのだ。そして無罪の人間が語義矛盾であるなら、法律の存在意義はなくなる。それでいいじゃないか2018/12/18
まえぞう
9
話の中のだましの方法が前作と同じですね。このくらいのわかりやすい話の方が舞台演劇には向いているのかもしれません。公爵の考え方が、物語の始めと終わりでずいぶん変わってしまったように思うのですが、私の読み方不足でしょうか?2016/05/19
roughfractus02
8
権力者が法を自由に変える時代では、表題「尺には尺を」の話者は権力者自身だ。喜劇的要素を含む本書が問題劇と呼ばれるのは、喜劇で笑われる権力側が変装と取り違えを仕掛けるからである。アンジェロの夜の相手をマリアナに取り替え、クローディオの首を囚人の首に偽装し、人々に罪を見出して罰を与えるのは修道士に仮装したヴィンセンシオ公爵である。恋愛と結婚の喜劇に法が絡む本作では権力者が人々を次々裁きながら笑う。道化役ルーシオが裁かれ、イザベラが公爵の結婚の申し込みに沈黙する時、作者は喜劇の力で劇自身を観客の現実へ連れ出す。2019/12/10