内容説明
縄文の昔は「まほろば」として栄えた本州最北端の地・青森を歩き、風土に即した生活とは何かを問う。太宰治が悲しき国と嘆いた津軽・南部・下北など、「けかち(飢饉)」に悩まされてきた地に、豊饒の歴史の鉱脈を探る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さつき
47
タイトルがまず良いです。三内丸山遺跡に代表される縄文時代の繁栄のさまが目に浮かぶようです。また津軽と南部の違いが対比してわかりやすく書かれていて面白いです。以前、八戸出身の友人に「青森出身だよねー?」と聞いたら「うちは南部だから」と微妙な顔をしていたのを思い出しました。全編を通して太宰治の『津軽』に触れられることが多く興味を持ちました。学生時代に読んだような、読んでないような…忘れてしまったので、今度読もうと思います。2016/10/13
けぴ
43
津軽、南部地方を司馬遼太郎さんが訪問。津軽では太宰治の『津軽』がたびたび引用され再読したくなる。縄文の頃から稲作が行われていた考古学の話が興味深かった。現在は津軽と南部の北を合わせて青森県であるが、2つの地方は実はお互いライバル視していたとの話も面白かった。2023/09/27
金吾
28
○十三湖や十三湊に行こうかなと思っていましたのでタイムリーに感じました。十三湖の話も良かったですが、稲作との関係、南部と津軽、8師団、斗南の話が面白かったです。2022/07/31
あきあかね
24
素晴らしい場所、住みやすい処を意味する古語である「まほろば」。今の青森県にあたる津軽と南部、下北は、本州最北の地であり、冬は長く雪に覆われ、太宰治の『津軽』における圧倒的な凶作の年譜が示すように冷害や飢饉に永年悩まされてきた。そうした地に司馬遼太郎は豊穣を見出し、「北のまほろば」と呼ぶ。 縄文時代にあって、豊富な海の幸·山の幸をもとに20メートルもの望楼を擁する日本最大級の集落を築いた三内丸山遺跡。中世の下北の豊富な鉄を通じた北方のオホーツク文化との交流。近世になり、元来寒さに弱いコメが経済の中心に⇒2020/03/31
紫羊
20
青森には一度だけ行ったことがある。役目を終えることになった青函連絡船に乗るのが目的だったので、ほとんど素通りだったのが惜しまれる。司馬さんが訪れてから30年近くの時が流れて、北のまほろばはどうなふうに変わったのだろう。2022/05/17