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内容説明
17~18世紀のユーラシアには、いくつかの帝国や大国が並び立っていました。それらの中から、日本、清、サファヴィー朝、オスマン帝国、オーストリア、プロイセン、イングランドとスペインを取り上げ、各国の動向とこれらの国々の間での協力と対立の様相、更には戦いとその結末を描きます。各国を率いた個性的な君主たちの姿を追いながら、彼/彼女たちの喜びや悲しみ、迷いと決断を追体験してみましょう。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アルカリオン
12
【巻末Q&A】Q:オスマン帝国を「オスマン=トルコ」と呼ばないのはなぜ? A:一九九〇年代まで、オスマン帝国は「オスマン=トルコ」と呼ばれることが多く、当時の教科書でもそのように書かれていた。しかし、現在ではそう呼ばなくなった。なぜかというと、オスマン帝国は多くの民族からなる国家であり、支配者層にも民族・宗教の区別なく様々な人がいて共存していたからだ。当時の国民が「オスマン=トルコ」を自称したこともなかった。2021/11/05
はる坊
11
1550年から1720年の世界。 オスマン帝国の最盛期、大清帝国の誕生や、イギリス国教会とハプスブルク家とプロイセンの対立。 清の康熙帝は名君として名高い。 オスマン帝国は、何故かロマンを覚える。 ハプスブルク家は、よくここまで成り上がったなー あとヘンリ8世は勝手しすぎちゃう?2021/07/31
白いカラス
4
17世紀から18世紀にかけてヨーロッパは30年戦争や、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、7年戦争など王位継承問題や領土問題など争い事の絶えない時代だったんですね。2024/07/06
Worldさん
2
明が滅亡し、清国が興った。西側も結構、まとまってきてあとは領土の行き違いで人質政治くらいになるのかな?啓蒙思想も出てきて政治のバランスが現在につながるものに改正されようとしてきており国家が基礎づいていく流れを見ることができる。ハプスブルク家のマリアテレジア、16人も子ども産んで国率いるというバケモンっぷり。やはり大国の黎明期にはこうした偉人が存在して現在に繋がっているのだなあ。もう17世紀なのにまだ半分という、やはり近代史を学べということか、逃げずに頑張る。2023/03/05
はる
1
清のベンパツはあまり好きではない。2022/06/21