『火星三部作』の最終作。2027年に「最初の百人」が入植してから100年以上の時を超え、海を持つようになった「青い火星」が舞台だが、さらなる太陽系開発に乗り出す場面も描かれている。2212年でこの未来史は幕を下ろす。 on Marsという表現が5回繰り返される浜辺での寄せては返す波の描写で終わる最後の場面では、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍)の「序章」を思い出した。 「時間の矢」とともに数直線的に展開してきた火星移民史だが、後半になって、科学技術で長寿化した「最初の百人」の脳の老化を取り上げる件では、「意識の流れ」にも言及があり、記憶は円環することが暗示されている。 政治的な衝突と紛争、テロと破壊を乗り越えて築かれた新しい母なる惑星。科学技術の進歩があっても、失われることのない人々の思い。3巻で2000頁を超える超大作。(邦訳の文庫では6冊)たどりついたのは、悠久の時と重力が奏でる波と砂の共演の場所。目前に広がる海の彼方へと思いを馳せる。
先月読み終わった芥川龍之介選の『英米怪異・幻想譚』の巻末には、芥川本人の「馬の脚」という現代風お伽噺が収録されていて、解説に英語にも翻訳されているとあったので、本書で英語版を読んだ。英米文学を英語で堪能していた芥川が、自作の英語訳に接したらどんな感想を持ったのだろうかと想像しながら他の傑作も読んでみた。 驚いたのが「羅生門」。日本語では数回読んできたが、経験したことのない「黒」の威力が、徐々に拡大していく展開を目の当たりにした。冒頭の一匹のcricket(コオロギ)から複数のcrows(カラス)、そして最後はthe cavernous blackness of the night(洞窟のような夜の闇)にのみ込まれた。 こんな感覚は日本語では起こらなったので急いで原著を見たら、冒頭に登場する一匹の虫は「蟋蟀」とあった。これは英語の誤訳かと思って、さらにウィキペディアで調べたら、古典では「コオロギ」を「キリギリス」と称していたとあったので、膝を打ったしだい。無意識に「緑」を連想した読み方が間違っていたのだ。 改めて、芥川の、短編の中に無限を封じ込める筆致のすごさに感無量。主人公の下人は、いまだに平安時代の闇の中をさまよっているにちがいない。