ユートピア関係の本を探していて見つけた一冊。85頁の小冊子だが、中身は充実している。消費税導入前の時期の出版物が購入できたのは驚きだった。 副題にある「カンパネッラ」は、イタリアのルネサンス期の思想家で、宮沢賢治の名作短編「銀河鉄道の夜」に登場するカムパネルラの名は、この思想家からとられたといわれている。(『銀河鉄道の夜』新潮文庫注解)本書の「はじめに」でも、宮沢賢治とこの童話への言及がある。 『太陽の都市』は、カンパネッラが34歳だった1602年に書いたユートピア小説。著者は、この作品の内容と書かれた時代背景等を分かりやすく解説してくれている。 表題に「憂鬱」とあるのは、理想郷を夢見たこのイタリア人の哲学者が、71年の生涯の多くの年月を軟禁あるいは獄中で過ごし、不自由な生活を強いられていたからだ。啓蒙の時代はまだ遠く、占星術による世界観を見につけた思想家にとっては息苦しい時代だったのだろう。いわゆる「異端審問」の対象者の烙印を押されたのだ。 この星々の動きを見る眼差しに宮沢賢治は惹かれ、自身の物語に少年としてカンパネッラを招き入れたのかもしれない。 本書の焦点である『太陽の都市』は『太陽の都』という邦題で岩波文庫から翻訳がでているが、残念ながら入手困難なようである。この作品はどうしても読みたいので、英訳版を探したら、幸い、フランシス・ベーコンの『ニューアトランティス』との合冊本 The New Atlantis and the City of the Sun: Two Classic Utopiasを見つけたので、小躍りして「ほしいものリスト」に入れ込んだ。早い時期に購入するつもりだ。 映画『銀河鉄道の父』も見たくなったし、ひょんなことから、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を再読したくなってきた。
著者は、英国の歴史学者。本書から読み取れる関心分野は、社会制度史の枠組みでくり返し表現されてきたユートピアおよびディストピアの考えだと感じた。邦訳は『ユートピアの歴史』(東洋書林)という表題で入手可能。 本書は、トマス・モアが描いた小説に触れる前に、古代ギリシャの哲学者が夢見た理想の社会観の紹介から始まるので、思想史としても読める内容になっている。 また、併行して描かれてきたディストピアという反ユートピア的な物語や映画にまで言及する展開は、文芸史としても有益だ。論述された思想家や作家の略歴が、コラムとして簡潔にまとめられている。図版は、中央にまとめられていて、読みやすい編集だ。 「ユートピア」という概念は、モアによる造語としての意味を再解釈すれば、日本語では「どこにもない場所」ということになっている。 個人的には、そのラテン語の原義の英訳であるno placeを、外国人として無邪気にとれえることにして、「ユートピア」はもともと場所ではなく、それを求める人々の精神に在するものと理解することにした。ウィリアム・モリスがnowhereという同義語で夢想したように。 要するに、本書で紹介された多くの作品を堪能することで、心に「ユートピア」を出現させるという流れだ。この姿勢があれば、21世紀のディストピア化も怖くない。読書をユートピアにしてしまおうという能天気な魂胆だ。 There is no place like reading.