画像は、購入予定の本のカバー。世界SF全集11巻(早川書房)に収録されたマレイ・ラインスターの『オペレーション外宇宙』の原書。 以下に書いてあるのは、同じ著者のThe Other Side of Here(翻訳は『異次元の彼方から』早川SFシリーズ)についてである。日本語では1971年の12月に読んだ。入手したのが1955年発行の古書で商品番号がないので「買ったものリスト」に反映されず、このような形式でのコメントとなった。 紀伊國屋ウェブストアでのデータでは表紙が分からなったが、梱包をほどいて大喜びしたのは、早川版の裏表紙にある原著の表紙と同じだったからである。翻訳者はこの1955年版のペーパーバックを使ったのだ。 小説自体は、傑作というほどの出来ではない。所謂B級レベルの作品である。しかし、米国のSFに夢中になり始めたばかりの中学生にとっては、衝撃的な内容だった。都市部への異次元からの侵略。何気ない日常を、ある日突然、恐怖と混乱に引きずり込む謎の現象を目の当たりにした主人公の葛藤と奮闘。そして彼を婚約者として慕い行動を共にする科学者の娘。彼女の父親は事件発生に行方不明になっていたのだ。物語の細部は忘れてしまっていたが、SF少年を自称していた頃の興奮はかすかに記憶に残っていた。 翻訳は文庫として再発行されておらず、英語版でも最近の再発行がないことを考えると、母国でも忘れられた作品になってしまったようだ。従って、今回の購入は、私にとっては奇跡である。 長編の分類だが、原書のページ数は僅か130の中編である。回顧的な読書のはずが、新たな発見もあり、発展的な収穫にもなった。 主人公が謎の現象の謎を科学的に説明する件で、彼の許嫁はけなげに聴き入るものの、「理解できない」と嘆いてしまう。この図式は、まさに、科学を可能にする客観的かつ論理的思考は男性のものであるという偏見にみちた学会の思考そのものである。著者は無意識に書き進めたのだろうが、当時の風潮を間接的に確認できた。 時代遅れの作品から新たな問いを見つけるのも、刺激的である。また、英和辞書にはないcompenetrationというような単語に出会うのもSFを英語で読む楽しさである。 『オペレーション外宇宙』も日本では再刊されていない。英語の新装版の入手を計画している。
邦題は『ウーマンウォッチング』。同じ著者にManwatchingという本があって(邦題は『マンウォッチング』)、その翻訳を意識しての意訳だろう。 原題を直訳すると「裸の女」。単数形で定冠詞があるので特定の女の人のことのように読み取れるが、ここは総称としての「女性」の意味である。副題にあるように学術的な研究書だ。 といっても、内容は一般的な読者を対象に書かれている。章立ては、英語で身体全体を表すfrom head to feetのとおり、頭髪から足までの部分で構成されている。要するに、頭の上から巡る女性の身体巡りである。 しかしながら、男性との共通点や差異にも言及があり、人間としての身体論にもなっている。類人猿との対比もあるのは、著者が動物学者だ。生物学的あるいは進化論の視点からの論述からは、性別に関係なく、人に共通する動物としての能力を客観的に見直す機会にもなる。 身体機能の科学的な説明に加え、女性特有の化粧、装飾品、整形等への考察もある。腋臭と求愛との関係は、文字通り博物学的な匂いがする。 日本人女性も取り上げられていて、「お歯黒」や「小股の切れ上がった人」の日本語がローマ字表記で言及されている。両語とも死語になってしまったようだが、改めて、それぞれのことばの意味を考え直すと、日本人として異性を意識する眼差しが見えてくるようだ。 古代エジプトの口紅や、18世紀のイタリアで複数の男性を殺害した頬に塗る毒薬、魔除けとしてのイヤリングの起源等、歴史的、異文化的な逸話も多く、心を躍らせながら読み進めた。 眉の動きによる顔の表情、腕や手の動作での感情表現、異性間のジェスチャーの違いを再認識する場面もある。この点からは、本書は、男女間の良好な人間関係を維持するための指南書ともいえる。 著者はThe Naked Man:A study of the male bodyという本も書いている。アキラ100%に興味があるわけではないが、発注しようとしたら、運悪く「ご注文いただけません。」とのメッセージ。しかし、これであきらめないのが「読者」という動物である。