内容説明
scienceの語源はscientia(知識)である。キリスト教世界では、「神の意志」と「理性による世界支配」が、秩序の根幹である。中世にはギリシア・ローマの「科学」的遺産を基に「西欧・近代・科学」が発展する。そして、アニミズムの否定、自然の世俗化、そして未来は「進歩」をもたらすというドグマが発生する。私たちの思考を呪縛する“科学”を徹底解剖!
目次
第1部(科学・哲学・神学;キリスト教の自然観と科学)
第2部(科学的知識と信仰との異同)
著者等紹介
村上陽一郎[ムラカミヨウイチロウ]
1936年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。同大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。現在、豊田工業大学次世代文明センター長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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読書という航海の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
to boy
21
昔から科学史に興味があったので図書館で借用。前半はキリスト教が西洋科学の成立・発展に与えた影響を考察。ガリレオ裁判に見られるようにキリスト教は科学と対立するものではなく、その世界観があったからこそ科学が発展したとの事。後半は哲学の存在論的は考察でちょっとうんざり。前から不思議に思っていた「日本ではなぜ物理・化学が生まれなかったのか」という疑問は解かれないまま残ってしまった。2021/05/16
みのくま
6
キリスト教と近代科学は反目するものではなく、近代科学には西欧キリスト教がインストールされている。それは自然と人間の明確な区分から、個人に対しての捉え方、そして神への信仰態度に至るまで近代科学と相似形を成している。では、非西欧圏である我々日本人は近代科学を我がものとする事はできないのであろうか。それについての著者の言及はひどく曖昧である。日本人の典型的な世界観から独自性について言及しているが、結局のところそれは近代科学を受容する上で障害になっているという結論になっている。多様性とは、という気がしてならない。2023/05/06
うえ
4
原著は76年だが古びてはいない。前半が科学史、後半が科学哲学。万人に対する万人の闘争は、あくまでも個人がはじめて対象になったからこそあり得た表現というのは興味深い。「「世俗化」現象こそ、人間社会においては、個人を確立させ、たとえば、ホッブズの「万人の万人に対する闘い」のように、個人自体が、すべての現象の基礎となる、という把握様式を導いたのであり、近代的な西欧の個人主義の出発点を形成するための一つの大きなモティーフになると同時に、科学の世界を経験的な個物主義によって構築しようとするモティーフにもなった。」2025/05/05
ア
4
おもしろかった。キリスト教を科学的真理の弾圧者として仕立て上げる啓蒙主義的な歴史の描き方、それと平行する、知的活動と信仰の双極化という理解の、2つに対するアンチテーゼ。2021/06/11
ああああ
3
自然現象を漠然と神の意志として捉えたり、あるいは、自然なこととして汎神論的に解釈して満足してしまう、言わば神話的な状態(ミュトス)から、それらを合理的に説明づける体系の構築を目指そうとする状態(ロゴス)への移行は、それゆえ、かならずしもギリシアに限られたことではないのである。p142024/06/11