内容説明
或る出来事-しかも,暴力的な-体験を言葉で語ることは果たして可能だろうか.もし不可能なら,その者の死とともにその出来事は,起こらなかったものとして歴史の闇に葬られてしまうだろう.出来事の記憶が,人間の死を越えて生き延びるために,それは語られねばならない.だが,誰が,どのように語り得るのだろうか.
目次
目 次
は じ め に──記憶を分有するために
Ⅰ 記憶の表象と物語の限界
第 1 章 記憶の主体
1 到来する記憶
2 余剰と暴力
第 2 章 出来事の表象
1 小説という語り
2 表象しうる現実の外部
第 3 章 物語の陥穽
1 虚構のリアリズム
2 出来事の現実
3 物語への欲望
4 物語の欺瞞/欺瞞の物語
5 否認される他者
第 4 章 記憶のポリティクス
1 傷痍兵という出来事
2 記憶を語るということ
3 否認の共犯者
Ⅱ 表象の不可能性を超えて
第 1 章 転移する記憶
1 外部の他者へ至る道筋
2 ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース
第 2 章 領有することの不可能性
1 封印される余剰
2 偽りのプロット
3 単独性・痕跡・他者
第 3 章 出来事を生きる
1 出来事の帰属
2 難民的生の生成
Ⅲ 基本文献案内
あ と が き
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
くまさん
22
証言の不可能性の問題は数多く語られてきた。そのなかで著者が暴力的な〈出来事〉の経験に付き添い、唯一無二の文体とたじろぐほどの切実さで探究を続けていること、その具体性に驚愕する。他者の死に意味を充填し、生き残った自分に使命をあてがうことさえ、自己欺瞞として斥けるベッテルハイムは苛烈だ。極限的な出来事を理解可能な物語とすることで安心し、合理的な記憶として領有することの危険、また出来事を語るというもうひとつの出来事に沈黙も気配も聞き洩らさずに向き合うために、どこまでも低いところに身を置くことにいまは賭けたい。2018/10/16
スミス市松
21
戦争や虐殺という〈出来事〉は当事者しか知り得ない表象不可能な体験である。しかし、いまある世界とは別の世界を創りだすためには、〈出来事〉の記憶は他者――つまり〈出来事〉の外部にある者たちによって分有されなければならない。クライストやジュネ、カナファーニーらのテクストを参照しつつ、著者は記憶の表象をめぐるこの根本的矛盾に対して峻厳かつ逡巡しながら書き記していく。唐突にやってくる記憶の暴力性を認識すること。〈出来事〉の暴力性を否認する偽りのプロット(『プライベート・ライアン』への痛烈な批判)を見極めつつ、(続)2017/07/18
ネムル
20
「記憶と物語」、ではない。記憶と物語を隔てる断線、ズレをまず意識しなければならない。他と置き換え出来ない唯一の「出来事」、例えば戦争や虐殺、病は伝えられていかなければならない、がまた、如何様にも過去の経験として言語化され得ず、欺瞞が入り込む。この記憶の分有を巡る考察とフィクションへの批判は熾烈で手厳しい(だが『プライベート・ライアン』批判は実のとこスピにはどうでもよさげで、スピを礼賛する観客に向けられてる印象も。是枝批判については監督の側に向いてるよな)。例えば元従軍慰安婦の証言を否定する歴史修正主義者は2019/03/29
三柴ゆよし
20
ある出来事そして記憶を物語る。それがいかにナイーヴな試みであることか。それは思い出すのではなく思い出されるのであり、突如として立ち上がるもの。中国語では想起来(xiang qi lai)というが、この起来という補語は、下方から上方への志向をあらわすという点で、記憶に対する意識のあり方を的確に言語化しているかもしれない。2017/07/31
ハチアカデミー
20
言葉は現実の全てを語ることは出来ない。物語化された語りからこぼれおちるものがある。それでも歴史を語り継いでいくために何ができるのか。何を「記憶」しているのかは実は恣意的なものにすぎない。個別の経験を一つの言葉に押し込め、類型化し、消費する「物語」は暴力的である。そんな記憶/物語を、決定的なものとして捉え、押しつけることもまた、大きな暴力である。一方で、物語はある読者にとって、〈出来事〉になる。その物語にふれた経験が、記憶され個別の物語を生む。〈出来事〉の記憶を分有することの可能性を垣間見せてくれる一冊。2015/09/05
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