内容説明
近代社会は身体/生命の周りに,あるいはこの概念を媒介としながら,どのような装置や戦略を組み立ててきたのか.その中で,我々は身体/生命をいかに語り,その像は社会編成のあり方とどのような関係を切り結んできたのか.フーコーが「生‐権力」と名指したものを,医療と社会のダイナミズムに依拠しながら明らかにする.
目次
目 次
は じ め に
Ⅰ 身体/生命はどう語られるのか
第 1 章 暫定的なスケッチ
第 2 章 身体/生命の文化的差異
Ⅱ 生‐権力の系譜
第 1 章 王の身体の変容
第 2 章 死の医療化
第 3 章 individual としての身体/生命
第 4 章 こころの在り処
第 5 章 「種」としての身体/生命
第 6 章 身体/生命をどう語るべきか
Ⅲ 基本文献案内
あ と が き
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
瀬希瑞 世季子
2
フーコーだけじゃなくフーコーが参照したテクストを読むことも大事やで!ってことを教えてくれる。良い本だと思う。2021/12/30
じょに
2
これを踏まえた上での、フーコーの「死への廃棄」を権力による<作為/不作為>のオペレーションと絡めて論じてある「生-権力再論(現代思想2007/09)」が面白いのよね。2009/05/24
keepfine
1
フーコーの生-権力論はあまりに有名だが、本書はフーコーと並んでビシャの生命論を援用している。有機的生命/動物的生命(心肺/脳)の二項図式にたち、人の「死」は肺や心臓の停止→脳という経過をたどるため、有機的生命がより根源的だとする。「脳死」をもって人の死とするのは早すぎるのである。2017/06/12
彩
0
西洋における身体/生命に関する捉え方を、医学の歴史を辿ることで明らかにしようとしている。生-権力というものを理解するベースとして役立つように思う。身体といっても、そこには様々な意味で「政治的な」身体も折り重なっており、西洋医学史における身体の捉え方が政治思想と並行するところがあるという示唆もなされている。示唆に富む箇所が多くまとめきれないが、それぞれの箇所から様々な思考を広げることが可能だと思う。2015/02/16
Mealla0v0
0
これは、市野川による生権力論である。フーコーが徴づけた主権権力から生権力への移行という問題を、フーコーとは別の角度から記述することで、生権力の議論を批判し更新する。市野川によれば、生権力の浸透は「医療化」によって示される。他方で、「死の中に廃棄する」働きについても考察する。フランス語のrejecterを忠実に訳するならば「投げ返す」。つまり、生命を死に送り返すということ、それは「生かさない」という作為的な不作為である。それゆえ、フーコーが違えたように、「死への権利」を勝ち取ることが生権力への勝利ではない。2019/02/04
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