内容説明
この日本において,外国語とは何であったのだろうか.外国語を学ぶ意味――それは実用性に還元されるものではない.世界標準を構成する実利主義・功利主義,言語の背後に隠された暴力性と権力性を越え,他者との相互承認に向けた,真の意味での翻訳の可能性を考える.外国語を学ぶことで切り拓かれる新たな地平への誘い.
目次
目 次
はじめに
一、外国語と権力──外国語学はどのようにして生まれたか
欧米帝国主義と近代日本における外国語/ 「和魂洋才」──実用主義と権力/英語(米語)帝国主義/多文化主義/第三者装置としての「バベルの塔」
二、言語というシステムを外部から見る──外国語学を学ぶ意味とは何か
言語は力なり/メディアとしての言語/ 「ドイツ国民に告ぐ」/未来の国民、未来の国語/フィヒテvsルナン/蝶か蛾か/言語というos/差異のネットワーク/言語システム論の罠/言語による変身/言語の選択/複数の言語から言語の複数性へ
三、翻訳の倫理学──外国語学は社会の役に立つのか
ポスト・モダン社会/抗争する「島宇宙」/翻訳の問題/同化と異化/翻訳の倫理的効果/名(づけ)の権力/名の暴力/象徴的歴史の暴力システム論/ 「翻訳者の使命」/伝達不可能なもの/抵抗の生き残り/純粋言語/自己超出する言語
四、異質な言語たちの未来──外国語と未来
他者の言語/言語自身の他者性/言語内翻訳/来たるべき言語/マイナー言語/アイヒマンと杉原千畝/ 「そして誰もいなくなった」/クレオール──混交する言語/人文学の可能性
五、「来たるべき言語」たちのために何を読むべきか
おわりに