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内容説明
情報化が急激に進む現在,はるか昔に書き遺されたものに価値はあるのか.それを読むことは,今の私たちにどんな意味があるのか.ニーチェ『この人を見よ』の読解を通して展開される,古典を読む態度をめぐる解釈学的議論は,自己と他者をめぐる実存的な議論へと発展してゆく.情報には還元されない,古典を読むことの意味と可能性を探る.
目次
目 次
はじめに
一、解釈学的循環の問題
テキストの真意を理解することはできるのか/解釈学的循環という難問/第一の解釈学的循環──単語と文章/第二の解釈学的循環──過去のテキストと現在の読者/第三の解釈学的循環──過去の著者と現在の読者/ 「対話」という実践/テキスト理解と他者理解
二、二つのニーチェ解釈
タイトルに込められた意味/二つの解釈──存在と生成/誰? 何?/知性の役割、感性の役割/二項対立と両義性/ニーチェはファシストか? ポストモダニストか?/ニーチェの真意はどこにあるのか/ディオニュソスとアポロン/肯定の精神と否定の精神/自己と自我/運命愛と戯れ/大いなる政治と自己/真の世界が滅びるとき
三、他者認識の問題
解釈学から人間学へ/精神史=精神科学とは何か/ 「根源的なわたし」から「他者」へ/存在と存在物/両義性の立場/他者に開かれた共同体へ/地平の融合とは何か/政治的なものと他者
四、解釈学を学ぶために何を読むべきか
おわりに
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
anarchy_in_oita
6
ニーチェ「この人を見よ」の読解を通じて、古典を学問的に読むという行為の能動性・主体性が明らかにされる。100ページにも満たない本書ではあるが、その精緻で鋭く批判的な読解に圧倒されてしまった。グイグイと引き込まれ、気がつけば他者の認識という極めて根源的な問いの元まで誘われる。いつかはこんな読みができるようになりたいものだ。デリダとガダマーの論争に少し興味が湧いたので、F・フォルジェ「テクストと解釈」もいつか読んでみたい。2020/06/14
politics
3
ニーチェ『この人を見よ』の読解を通して解釈学とは何かを伝えようとするもの。著者は古典学者でも哲学者でもなくあくまで政治思想学者の視点から解釈学を解説しているのが特徴だろう。古典をどのように読むのかその方法の一端を知るには最適な一冊だろう。2020/12/13
MrO
2
ここでいう古典は、源氏物語ではなく、ニーチェ。しかし、ニーチェに限らず、過去の著作を読むときの問題が指摘されている。それが、解釈学というもので、その考え方を知るには最適な一冊。それは、古典を読むときだけでなく、他者を理解したり、いっしょに生活をしていくときの問題に広がっていく。読書のスリリングな楽しみだけでなく、地平の融合という言葉で示される、他者との関係を提示して終わっている。政治哲学のすそ野の広さに驚かされる。2015/07/01
左手爆弾
1
タイトルが良くない。素直に「解釈学」でよかった。ガダマー、ハイデガーあたりを中心に、ニーチェやディルタイなどの話も交えながら、解釈学の考え方を紹介。テクストの部分と全体を一元的に見通すことはできず、解釈学的循環が生じることになる。だからこそ、対話を通じた地平融合が目指されるべき、ということになる。筆者はニーチェの『この人を見よ』を例にとって、解釈学の実践を試み、邦訳のいくつかの問題点を指摘する。地平の中にしかいない我々は、自らの解釈によってしか物事をとらえない。他者への開かれた態度が地平融合への道である。2016/04/15
けいぎ
1
解釈学というものがあるよ!という程度の本。解釈学についてはほんとうにさわりだけなので、この本の読みどころは、ニーチェの「この人をみよ」が二重の読解を許す書物であることを例証する部分かな、と思う。2014/10/16