表題にひかれ購入した。「眼」を文字通り注視した。哲学としての「まなざし」に関心を寄せてきたからだ。そして「神殿」。ここで多少の戸惑いを覚えた。神殿から見下ろす視線なのか、神殿を見上げる視線なのかという問いがでてきた。 そこで、思い出したのが、「生存のための食糧の貯蔵庫が神殿になった」という見解だった。(磯崎新『見立ての手法 日本的空間の読解』鹿島出版会)『眼の神殿』とは、「心の栄養となる絵画を保存し、神々しく見せるための社」という意味だろうと推測した。 読み始めて、この推測が的を大きく外していないことが分かった。第一章では、日本画家の高橋由一が構想した「螺旋展画閣」の考察が中心となる。残念ながらこの絵画館の建築は実現しなかった。もし建立されていたら、訪問者は、螺旋階段を上り、最上階の楼閣に上がった後、別の螺旋階段を降り、この上下の歩行のさいちゅうに展示された絵画を鑑賞することになる。DNAの胎内巡のようだ。 第二章以降は、国家の繁栄に対する視線を集めるための明治時代の博覧会の考察から、制度としての美術が形成される過程、そして、フェノロサや岡倉天心が日本美術史で果たした業績等が紹介される。副題に「「美術」受容史ノート」とあるように、造語だった「美術」がいかに明治時代に日本語として根付いたのかを解説している。 正直、美術には疎いが、冒頭で紹介された「螺旋展画閣」の試みは衝撃的だ。塔のような構造はまさしく神殿だ。螺旋にそって貯蔵された絵画は、「生命の継続」(p60)の視点から民衆を感化することになっただろう。それに比べて、政府が構築した博覧会では、平面の床の上に配置されたガラスケースが人々の眼差しを遮っていた。展示品を保護するのは理解できるが、ノーマンメーラーが書いたように、目の前にあっても「ガラスは距離感を生む」のである。(『Fire on the Moon』) どうやら「美」とは、見るだけで触れてはいけないものらしい。
本書の背表紙を店内で見た時に、from left to rightという横文字が気になった。開いてみると、なんと、小説なのに横書きだった。裏表紙には「本邦初、横書きbilingual小説の試み」と書いてある。作者が『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(未読)の著者だと気づいたのは、愚かにも、この小説を読み終えてからだった。 著者は、12歳の時に渡米した。この『私小説』は、渡米後30数年経過した時に発表された。著者自身の米国での成長経験を、文学と言う形式で回顧している。まさしく小説の名を借りた私的な記憶の再生だ。おそらく、少女時代は、母国語である日本語と生活と学習のことばとなった英語との間で、精神的な軋轢を感じたのだろうと思う。 英語の運用能力を身につける過程で、湧きおこった日本語への愛着が随所に感じられる。あえて横書きを選択し、英文(和訳無)を散りばめたのも、英語の視点から、日本語の美しさを表現したかったのだろうと感じた。 シェリー酒でほろ酔い気分になり、「日本語の懐古文による雅」を語る場面では、文章が蛇状曲線にように悶え、横書きの呪縛から逃れようとのたうっているのが視覚的にも分かるようになっている。 さらに読み進めると、柱のように三列で挿入された縦書きの「美しい花」も目に飛び込んでくる。「し」という縦に伸びるひらがなのしなやかさ。「縦に大きくおおらかに流れた漢字とひらがなは、横に蟻のようにぎっしりと並んだalphabetとは全く異なる世界を眼の前に喚起するのであった。」この記述は、著者が日本から離れて初めて気がついた日本語の特異性だろう。 結末では、子どもの時いらい縁がなくなっていた日本での正月へ思いをはせる。「珍しい日本語が氾濫する特権的な季節」。ニューヨークでの物語の展開を楽しみつつ、母国語である日本語の重要性を改めて悟らされた読書となった。