この岩波現代文庫は2014年1月の発行だが、本書の最初の出版は1971年7月まで遡る。山口昌男の著作は、当時の私の視野に入るような内容ではなかった。2004年の7月にようやく『知の祝祭』を読んだだけだ。高山宏の著述から著者の多岐にわたる業績を知るようになった。ようやく本書に辿り着き、感無量であるばかりか、今までの拙い読書体験を大いに補完できる情報と助言に満ちていることが実感できた。 一つは『金枝篇』のフレーザーについて、現地調査をしなかった研究者という悪評を非難しつつ、「隠れた現実を照射する新しいモデルを構築するためのイメージを蒐集した」と擁護している。この論法は私の思いを的確に表現してくれて胸がすく思いだ。 もう一つは、著者が推薦する物語作家として紹介されたデンマーク人カレン・ブリクセン。初めて聞く名前だと思った。しかしながら、英語で書く時にはアイザック・ディネーセンというペンネームを使っていたことが分かった。この事実で、記憶は1985年に遡及する。アメリカ映画『愛と哀しみの果て』が日本でヒットした年だ。映画は見なかったが、その原作であるOut of Africaを書店で手に取った記憶が蘇った。この小説の作者こそ、カレン・ブリクセンだったのだ。 山口昌男は、この女流作家について「想像力の欠如は人々が存在することを妨げている」という引用で説明し、彼女が物語で表現する感受性を称賛している。おそらく、36年前にOut of Africa を読んだとしても、単なる映画の原作程度の読後感で終わっていただろう。改めて、このケニアの自然と人々の回想文学を読みたくなった。 その他の記載内容も、半世紀たっても色あせてはいない。むしろ、当時の知的動向を知るうえでは重要と思う。1970年と言えば、本格的に読書を始めてから2年目。令和になり、残された年月は少なくなり始めたが、本書のような豊潤な知の書物を紐解くと、「読書の神様」から大いに鼓舞されるような気になる。
本書は1972年に「異色の英文学史」との帯付きで出版され、2012年に復刊されたものである。著者は、学魔、高山宏が影響を受けた英文学者。「学際」と言う表現が定着する前の時代、「脱領域」という視点で、英文学を関連する分野も含めて複眼的に読み取ろうとした成果が記載されている。 題名に「講義」とある。読者には熱心な学生の姿勢が求められる。由良教授は言いたいことを言うだけ。聴講者は、断片的なメモをたよりに、発言内容の源泉へ辿り着かなければならない。「写メ」などない時代の板書判読のイメージが随所で感じられる。 まさに迷路だ。五里霧中では表現できない読中感覚。先ずは焦燥感。読み進めようとはやる気持ちを数多くの書籍名の引用が抑えつける。英語での原題が書いてないので、調べるのに時間がかかる。巻末に文献一覧は無い。数十年あるいは百年以上前の文献ばかり。著者の英語名から探っていくことになる。 例えば、サマーズ。お笑いではない。モンターギュ・サマーズ(1880年生)はオカルト関連の本を多く発表した。(一部は翻訳されているが現在は入手困難)彼の著作一覧を見ると引用された『ゴシックの探求』の原題が分かる。モース・ペカムという人物の紹介では、「カオス」に言及するだけで、参照した著作名の記述がない。苦労してそれらしき古書をウェブ紀伊國屋で見つけたが、5桁の価格がついていて、これには白旗だ。 次は眩暈。新たに発見した未読作品の数と魔力に足元が揺らぐ。英文学史には出ないものばかりだ。しかしながら、所謂B級という内容でも無さそうだ。だからこそ、読書欲がよけいに刺激をうける。渇きを覚えるので虚ろになる。 そして夢心地。幸い、ウェブ紀伊國屋で英古書も入手ができるものも少なくはない。検索できたものは「ほしいものリスト」に入れ込んでいく。手先を動かすだけで気になる本が家に届くかと思うと、それだけでも酩酊だ。『ゴシックの探求』の原書The Gothic Quest: a History of the Gothic Novelも購入予定となった。 このように、本書はある意味「悪書」だ。しかしながら、マニュアル化する出版物が多い中で、読書の内なる探求心を鼓舞するような筆の運びには魅せられる。なぜならば、読書とはもともと「孤独な探索」(松岡正剛『方法文学』角川ソフィア文庫)だからだ。