【cross review】「流れ」がもたらしたパラダイムシフト(書評者 橘 玲)―『流れといのち――万物の進化を支配するコンストラクタル法則』


cross review
『流れといのち――万物の進化を支配するコンストラクタル法則』

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「流れ」がもたらしたパラダイムシフト(書評者 橘 玲)

「流れ」がもたらしたパラダイムシフト

書評者 橘 玲(作家)

『流れといのち』の読後感はポストモダンの哲学者ドゥルーズ/ガタリの『リゾーム』(『千のプラトー』序)に似ていて、エイドリアン・ベジャンの提唱する「コンストラクタル法則」は、"異端の数学者"ベノワ・マンデルブロの概念「フラクタル」を思い起こさせる。これは私の思い込みなのかもしれないが、そこにはたしかに共通点がある。それは、「世界の根本原理」について述べていることだ。
 ドゥルーズ/ガタリは、この世界には因果律(ツリー構造)では理解できないなにかがあることに気づいて、悪戦苦闘の末にそれを「リゾーム」と名づけた。日本語では「根茎」と訳されるが、壁を覆う蔦(つた)やネズミの巣穴のように、ひとつの入口がいろいろなところにつながる網の目(ネットワーク)をイメージしていたようだ。――推測するほかないのは、ドゥルーズ/ガタリ自身がリゾームをうまく説明できず、その記述は誰にもわからないほど難解なものになっていったからだ。
 その後、マンデルブロが現われて、リゾームを簡潔に説明した。それがフラクタルで、ネットワーク理論では「複雑系のスモールワールド」と呼ばれている。
 雲や雪の結晶、リアス式海岸、カリフラワーなど、形状がものすごく複雑なものにも、よく見ると一定の法則性がある。マンデルブロはそれが、正規分布(ベルカーブ)ではなくベキ分布(ロングテール)に従うことを発見した。
 正規分布ではすべての事象が一定の範囲に収まるが、ベキ分布ではテール(尻尾)がどこまでも伸びていき、ほとんどの事象は平凡だがときおり「とてつもない」ことが起きる。これは、身長1メートルの小人たちのあいだに身長10メートルや100メートルの巨人がいるような奇妙な世界だ。緊密なネットワークではすべての要素がフィードバックし合うため、ささいな出来事(ブラジルで蝶がはばたく)がどのようなとんでもないこと(テキサスで竜巻が起きる)を引き起こすか、このいわゆる「バタフライ効果」は誰にも予想できない。
 マンデルブロは、ベキ分布こそが世界の根本法則で、正規分布(量子力学)はフィードバックが限定された特殊ケースで、フィードバックのないときにだけ因果論(万有引力の法則)が成立すると考えた。そして、地震(地殻変動)や洪水から株式市場の値動き、富の分布、さらには宇宙(銀河団の配置)まで、あらゆるところにこの法則が貫徹していることを、生涯をかけて証明しようとした。
 これはたしかにものすごいパラダイム転換だが、ドゥルーズ/ガタリは納得しなかっただろう。フラクタルを知らなかった彼らはリゾームを直観的に語ることしかできなかったが、それが「生成」するものであることに気づいていた。
ネットワーク理論では、複雑系を「ハブ&スポーク」で説明する。ハブ空港を経由することで効率的な運航を可能にする航空会社の路線図がその典型で、たしかにわかりやすいが、これは静的な複雑系だ。ドゥルーズ/ガタリが幻視していた、不気味にうごめきのたうつリゾームの姿はそこにはない。
 あくまでも私の理解であることを念押ししたうえでいえば、エイドリアン・ベジャンはコンストラクタル法則によって、フラクタルに時間軸を導入し、その「生成」すなわち過去から未来への「流れ」を語ることを可能にした。
 ベジャンは、フラクタルはコンストラクタルと根本的に異なると断言しており、それについて私のような物理学の素人が口を挟むようなことではないと思うが、コンストラクタル法則がフラクタルと重なることは、前著『流れとかたち』の冒頭で北シベリアのレナ川の三角州と人間の肺の写真が並べられていることからもわかる。両者は典型的なフラクタル図形で、とてもよく似ている。
 ベジャンはマンデルブロに言及していないが、これは不思議でも何でもない。それが「世界の根本法則」であるなら、数学(統計学)から始めても物理学(熱力学第二法則)からスタートしても、まったく異なる道筋をたどって同じ場所に到達するにちがいない。
 ベジャンが成し遂げた大きなパラダイム転換は、人間と機械、生物と無生物に本質的なちがいはなく、すべては「流れ」のなかにあると考えたことだ。そこには、より速く、より遠くへ、よりなめらかに流れるという「目的」がある。よりよく流れるものは「よりよい」ものなのだ。
 こうして生物の進化は地球や宇宙の歴史(ビッグヒストリー)と一体化し、物理法則として完璧に理解できるものになる。そのとてつもないインパクトは、進化には(なめらかに流れるという)目的と価値、すなわち「意思」があることを示したことだ。
 生命も非生命も、この世界のすべてのものは「よりなめらかに流れる」という物理法則に従っており、よりよく流れるかたちを目指して進化していく。これが「コンストラクタル法則」だ。
 資本やモノ・サービス、人間が自由に国境を超えるグローバル化が進むと、GAFAのような「独占」企業やビル・ゲイツのような超富裕層が誕生するが、それは「よいこと」だ。なぜなら、経済がより大きな「流れ」になったことで、「ふつうのひとたち」もそれ以前よりずっとゆたかになったのだから。――このことは、市場のグローバル化にともなって「最貧国」だった中国やインドからぞくぞくと中産階級が誕生したことで証明された。
 このようにしてベジャンは「格差の拡大」を肯定し、「死とは何か」の章で、すべては大きな「流れ=生命」のなかにあり、個体の誕生や死に意味はないというニューエイジ的な結論に至る。ひと言でいってスゴい。

橘 玲(たちばな・あきら)
1959年生まれ。作家。小説に『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)、『ダブルマリッジ』(文藝春秋)ほか、ノンフィクションに『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』(新潮新書)、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『働き方 2.0 vs 4.0』(PHP研究所)、『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)ほか多数。

流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則

流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則

エイドリアン・ベジャン、柴田裕之 / 紀伊國屋書店
2019/05出版
ISBN : 9784314011679
価格:¥2,376(本体¥2,200)

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「生物・無生物を問わず、すべてはより良く流れるかたちに進化する」――この画期的な物理法則を「コンストラクタル法則」と名付けて1996年に発表した熱力学の鬼才ベジャンは、2018年に米国版ノーベル賞とも言われるベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞した。

「生命とは何か」という野心的な探究を軸に据えた本書で著者は、富と資源の流れや、階層制の遍在性、テクノロジーやスポーツや都市の進化、政治や社会を支配する原理、時間や死の諸相までを見渡しながら、生命と進化のみならず、さまざまな事象への見方をくつがえすような、戦闘的な文章で読者を圧倒する。

本書でベジャンは「生命」「進化」を、物理の視点で語る。
生命という定義には生物も無生物も関係ない。 動きながら自由に変化している=流れているものが生命だ。 流れが尽きた系には終焉(死)が訪れる。

生命とは、より長く生きたい、食物や暖かさ、力、動き、 他の人々や環境に自由にアクセスしたいという衝動なのである。
そしてベジャンはコンストラクタル法則の導きを元に、 確固たる自信をもって、より良い未来へ向かう世界を提示する。
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2019.05.14 出版