内容説明
近代には不思議な性質がある。近代はいわば自分自身を否定するのであり、その否定を含めて近代なのだ。その奇妙なメカニズムに迫るため、本書はまずドストエフスキーの小説に挑む。
ドストエフスキーの小説を通じて何が解明されるのか。資本主義のメカニズムである。と、書くとびっくりされるかもしれない。ドストエフスキーの文学と資本主義とはあまり関係がないと思えるからだ。だが、両者のつながりを理解するには、資本主義の本質を理解しておく必要がある。資本主義は一種の宗教である。
資本主義が宗教の一種であるならば、ドストエフスキーの文学を媒介にしてそのメカニズムへと通じる道があっても不思議ではない。考えてみると、ドストエフスキーの小説では登場人物がたいていおカネのことで苦労している。と同時に彼らは絶えず神のことで思い悩んでいるのだ……。
小説同様に資本主義と骨がらみの産物として美術や歴史意識が生まれ、19世紀以降今日にいたるまでわれわれを規定している。その軛からのがれることは可能なのか? 精神の自由を求める認識の冒険はさらに佳境へ!
目次
まえがき
第1章 最初の小説
第2章 小説の不安
第3章 神に見捨てられた世界の叙事詩……なのか?
第4章 虚構性の勃興
第5章 役に立たない辞典
第6章 小説的衝動の帰趨
第7章 父殺しの密かな欲望
第8章 墓場の生ける死者たち
第9章 分離派の倫理と資本主義の精神
第10章 一者は一者ならず
第11章 貨幣を殺す
第12章 ヘーゲルを通じてドストエフスキーを読む
第13章 この女性の裸の身体は美しいのか
第14章 絵は何と競っているのか
第15章 なぜ何かがあるのか
第16章 美からの逃走
第17章 「睡蓮」と「山」
第18章 注意への注意
第19章 存在論的に未完成な共同体
第20章 「Anno Domini(主の年)」から「A.D. /B.C.」へ
第21章 構造と歴史
第22章 国民の「起源」
第23章 母の欲望
あとがき
感想・レビュー
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ころこ
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