内容説明
生きるための言葉に満ちた希望の詩。
弱ったこころを勇気づけ、希望に導いてくれた詩人、茨木のり子。そこにはいつも生きるための言葉があった。亡き夫への想い溢れる最後の詩集『歳月』も収録。詩人・高橋順子による鑑賞解説付き。
永遠の詩シリーズは、今日的に意義のある詩人をとりあげ、代表作を厳選しました。わかりやすい解説で、詩があなたにもっと近くなります。
目次
根府川の海
対話
方言辞典
見えない配達夫
ぎらりと光るダイヤのような日
六月
わたしが一番きれいだったとき
小さな娘が思ったこと
怒るときと許すとき
女の子のマーチ〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mukimi
120
タイムパフォーマンスやコストパフォーマンスといった概念が幅を効かせる現代社会で負けじと戦う中でも、詩を何度も口の中で転がし感性を揺蕩わせることができる余裕は持っていたいと思う。たまに詩集を開くと、ページの余白の大きさに少し焦り戸惑うのだけど、そのまま、余白に身を委ねるうちに、取り入れている字数と見えてくる情景は比例しないことに気づく。「ぎらりとひかるダイヤのような日」「すべてのいい仕事の核には震える弱いアンテナが隠されている」など…絶望を前にしてもそれだけを抱きしめていたいような言葉達に出会う。2023/05/04
chantal(シャンタール)
96
読友かあちゃんが茨木のり子さんのこの詩が好きで手帳に書き留めてあると言っていた。私もそれを真似ようと思う。心がトゲトゲした時、カラカラに干からびた時「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」と叱咤激励してもらうために。そして人と違うこと、落ちこぼれること、時代遅れになる事も恐れず、自分らしく生きる為、何度でも茨木さんの詩集を読み返したい。そのためにも買わなくちゃ。この本は図書館本なので・・・2020/01/26
ポップノア♪@読書熱再燃中?
89
1926年生まれの詩人⋅茨木のり子。戦争に翻弄された青春時代を詠った「わたしが一番きれいだったとき」が強烈な輝きを放つ。「わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった」、「男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった」には胸を締め付けられる。自分のいたらなさを時代のせいにするなと詠う「自分の感受性くらい」。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」の一文には耳が痛い。個を失ってまで社会に同調しなくてもいいと説く「落ちこぼれ」も愛おしい。出会わせてくれた「金曜堂」に感謝!2020/05/31
やせあずき
62
あまり詩を読まない私が、新聞でのオススメ記事を見て購入。表題の「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」言葉の強さに圧倒されます。そして、様々なことを自分以外のせいにしていた弱い自分に気付かされ、喝を入れられました。詩の素晴らしいところは、何度も何度も読み返して、自分の中に取り込むことができるところなんだと改めて感じました。「ぎらりと光るダイヤのような日」、長いようで短い人生を振り返る度に読みたい詩です。さらに、解説もついていて分かりやすく、ずっと手元に置いておきたい本です。2015/03/04
けんとまん1007
51
茨木のり子さんの詩に出会って以来、何故か、ふっと手に取りたくなる。凛とした中にも、人を見つめる眼をそこに感じ取れるからだろうと思うし、勇気というか、「やろう!」という気持ちを起させてくれるからだ。読みようによっては、キツイなあ~と思うこともあるが、何故か、こころに残る。いや、脳細胞に沁み込んでいるのだろう。かつて、中学校のPTA会長をやっていた時に、卒業式の祝辞の中で、茨木さんの詩を読んだ(今、大学2年の娘の卒業式でもあった)。そんな気にさせる力があるし、子供たちも何かしら汲み取ってくれたと思っている。2011/04/30