内容説明
みちのく岩手・二戸市にある古刹・天台寺。今東光師の後を受け住職を勤めた寂聴さんは、名誉住職となってからも説法を行っており、広い境内には一万人もの人が集まります。悩みや不安を抱えて御山にやって来る人たちは、天台寺の清澄な光景に癒され、寂聴さんの法話を聴いて笑顔と元気を取り戻します。澄み切った青空のように、〈こころ〉を晴れ晴れとさせる一冊。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
いろは
20
「悩んだ時に読んでください。」24才、無職、独身。自分の人生、生き方、仕事について、あれやこれや悩んでいるのもあるし、瀬戸内寂聴を一回は読んでみたかったので嬉しかった。タイトルの「切に生きる」とは、『過去のことをくよくよしない。明日のことを思い煩わない。今日、今を精いっぱい楽しんで生きること』ということらしい。これを機会に、悩み過ぎかなと思い始められるようになってきた。そして、『生き甲斐がない』とか『自分は生きている価値があるのか』と、同じような悩みを持つ若い人は、私だけではないと思った。ものは考え方だ。2019/01/04
博多のマコちん
4
寂聴さんの訃報を受けて、例によって一冊読み直しました。これはとても読みやすいし、今更ながら(恥ずかしながら)如来や観音・菩薩のこと、お盆(盂蘭盆会・・・ウラボンエ)のことなど仏教常識の勉強にもなりました。みちのく岩手県の天台寺で定期的に行っていた説法の抜粋。たまにはこういうものも読んで、フッと立ち止まるべし。第4話「周りの人を幸せにするために、あなたは生まれてきたのよ」、第8話「あなたの仏様は ほら、側にいるカレですよ」などがGood! 寂聴さん、亡くなってもまだ現存されてるような不思議な方です。 2021/11/28
まめ千代
2
「切に生きる」とは一瞬一瞬を一生懸命に生きること、過去のことを悔やまない、未来のことを取り越し苦労しないということ。・・・・肝に命じます。2010/11/08
Juichi Oda
1
寂聴さんが12年前(当時)に晋山した岩手の天台寺で毎月行なっている「あおぞら説法」の聞き書き。50人も集まってくれたらいいと始めた説法が、1,000人を超える大イベントになったのは彼女の知名度によるものだと思う。でもそれは単なる知名度ではなく、人に深く篤く寄り添って、話を聴き、話をする姿勢が多くの人々を惹き付けるんだなぁ、というのが素直な感想。ちょっと距離を置いてみてみると、寂聴さんは仏法で話すけれど必ずしも仏教という一つの宗教に捕われないお話の数々だ。ぐずぐず言う必要もなく、素直に面白い本でもある。2015/09/09
pure mint
1
お葬式とか法事でしか馴染みのない仏教ですが、少しずつ散りばめられたエピソードに、「そういうことだったのか」と。寂聴さんの説法に全国から集まった人たちの熱気を感じさせる一冊。一度、実際に生の説法を聞きに行ってみたい。2012/06/13