内容説明
隣の部屋のテーブルは、誰も見ていなくてもあるだろうか。つまり、知覚されていなくても物はあるのだろうか。普通はあると考える。でも、本当にそう言えるだろうか。ここに、哲学の思考が生まれる。全身で自らの思索を刻んでいった稀有な哲学者、大森荘蔵の哲学を、筆者自身の思考も交叉させつつ、鮮やかに浮き彫りにした快著! (講談社学術文庫)
目次
はじめに
1 「超越」という問題
2 無限集合を生成する言葉
3 立ち現われ一元論への転回
4 立ち現われの風景
5 言語的制作の可能性
あとがき
附録 大森荘蔵年譜
読書案内
解説 「全身哲学者」の肖像 野家啓一
学術文庫版あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おじいやん featuring おじいちゃん( ̄+ー ̄)
38
哲学者にとって言葉は伴侶である。 何があろうとたとえ行く道が艱難辛苦の連続であろうとも自身が選んだ伴侶ならば己の身を賭してでも守らねばならぬ。 哲学をするという事はそうゆう事だ。 「君にその覚悟はあるのか?」 大森荘蔵は読者に問い続けている。2017/09/13
フリウリ
12
大森氏の書かれたものの内容は正直、十分理解できていないのですが、考えながら進む、わからなくなれば止まる、という不器用な?大森氏の姿勢に惹かれて、これまでその著書を読み触発されてきました。本書を読んで、今まで気にしていなかった(気づかなかった?)大森哲学の変遷がよくわかりました。著者もまた、考えながら進んでいくのがよかったです。例えば「習慣記憶」もそうですが、知覚や記憶や理解における身体的な要素があまり考慮されていないことは、個人的に気になりました。82024/02/23
無重力蜜柑
8
大森荘蔵は自分にとっては駒場の科哲の先人であり、野矢茂樹や野家啓一らを育てた分析哲学の泰斗。そんな大森哲学の野矢による註解。大森の考えを後世から振り返って整合的に記述するというよりは、前期・中期・後期に分けた思考の変遷を追いかけることで、一人の哲学者がどのような問題意識を持ちどのようにそれに取り組んだかを詳にしていく。といっても大森自身の伝記的記述は皆無でひたすら哲学に終始するストイックな構成。また、大森の思想を無批判に受け入れるのではなく、矛盾していたり野矢自身が賛同できない部分には異議を唱えたりする。2021/11/03
lamontagne
6
著者自身そう記すように、大森の哲学を外から眺めるのではなくて、その著作とともに考えてゆく、そして読者も野矢先生と考えてゆく、そういう本です。そしてその実践が結局のところ、先賢から学ぶということなのだと思わされます。2022/02/08
Z
4
良書。大森荘蔵の思考の軌跡をたどり、そこから正しいと思うもの、別の思考ができるのではないかということを、著者がたどるという教科書的な書き方。著者は論理学でお馴染みの人。認識論を深めていって、時間や他我問題について徹底的に思考していった様子を分かりやすく書いている。正直、関心のない分野だが、難しくはなくすらすら読めるので、面白かった。2015/12/17