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内容説明
「唯物論」とは、たんに物質という実体に依拠して論を立てることではない。廣松はそれを「唯物論(ただものろん)」と呼んで、厳しくしりぞける。まず物と物があって、その間に関係が成り立つのではない。まず関係があって、そこから、物が出来てくるのだ。ここに廣松哲学の真髄がある。(講談社学術文庫)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かんがく
15
ほぼ今まで触れてこなかった思想家だが、京都学派や丸山真男、吉本隆明など同時代の他の思想家との比較や、ヘーゲルからマルクスに至る近代観の変化など、思想史的な解説がしっかりしていたため、廣松渉の位置付けが明確でわかりやすかった。超克の対象としての近代とはなにか、そして辺境において近代を哲学するとはどういうことかが明晰な文体で書かれていた。2023/02/12
無重力蜜柑
9
近代=資本主義の超克というのが根本問題。近代は主観と客観の分離、人間の主体性と自然科学、そこから来る人間主義と機械主義、及びそれをマルクス主義に適用した実存主義とボリシェヴィズムといった対立軸を持ったパラダイムであり、いずれの極においても近代は乗り越えられていない。そこで『ドイツ・イデオロギー』の綿密な解釈を通して主体や個体ではなく「社会的諸関係」を存在論的基盤とし、そこからマルクス主義を再構成していく壮大なプロジェクトが出て来る。これゆえ廣松渉の思考は哲学や政治から経済、心理、社会、科学までを含む。2022/02/06
れぽれろ
7
近代の超克という観点から廣松渉の思想を紹介する一冊。世界は共同主観的であり認識・言語・主体は多重構造を持っており関係性の中で規定される。しかし共同体から自立した個人が主体として合理的に振舞うことが前提とされる近代社会では、本来規定できないはずの主体や物の価値がさも存在しているかのように立ち現れ(物象化)、物象化された役柄が一人歩きし制度化したシステムが悲劇を生みます。本書では、近代を超克すべき対象であると考えた廣松は、近代を徹底しようとする丸山眞男ら戦後知識人よりも、京都学派により近似的だとされています。2015/12/07
ぽん教授(非実在系)
3
もっともマルクス主義を厳密に考察した哲学者を日本思想史に代入すると意外と京都学派への親近感が見え隠れするという面白い内容であった。しかし廣松はそもそもマルクス主義を出発点に置くということが自分にはそもそも時代的な限界を感じざるを得ない。2015/11/20
Ex libris 毒餃子
3
「近代の超克」をテーマに廣松を論じた本。日本思想の中で廣松をとらえる論考はよかった。「近代の超克」の話がメインで廣松の話が少ないような気もしなくはない。2015/08/18