サンガ新書
結局は自分のことを何もしらない―役立つ初期仏教法話〈6〉

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  • サイズ 新書判/ページ数 178p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784901679619
  • NDC分類 184
  • Cコード C0215

内容説明

私たちが考え悩み続けてきた「どう生きたらよいか」という問題を、初期仏教は、「私とは何か」を知り尽くすことによって解決します。「私」がわかれば、「生きること」の真実がみえてくるのです。こうして導き出される「生きること」の答えは、「動き」、「知ること」、そして「苦しみ」です。しかし、苦しみは嫌でしょう?不幸より幸福がよいでしょう?だからこそ、生きる目的は「苦しみを乗り越えること」になります。幸福な人生に不可欠な生きることの根本=お釈迦さまの智慧を解説。

目次

序章 「生きるとはなにか」を探しにいきましょう(どう生きたらよいかという悩み;死後のことまで悩みのリストに ほか)
第1章 生きる苦しみと生きる幸せ(皆、「私」がいちばん偉いと思う;「私だけが偉い」と思う大失敗 ほか)
第2章 私とはなにか(同じ感覚が続くと苦しくなる;一つの味だけではおいしくない ほか)
第3章 どう生きるべきか(苦しみをなくすことを目的に生きる;苦しみをなくす目的は人を成長させる ほか)

著者等紹介

スマナサーラ,アルボムッレ[スマナサーラ,アルボムッレ][Sumanasara,Alubomulle]
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は(宗)日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事している。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHK教育テレビ「こころの時代」などにも出演(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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シュンスケ

7
とある瞑想会のときに行った講話の内容を本にまとめたものらしい。「自分」という概念自体が妄想。人間はみんな暗闇の中を手探りで歩くように生きている。他人に生き方を聞いても納得のいく答えは返ってこない。いろんな宗教もお互いに矛盾するようなことを言ったりする。やはり瞑想することが大事。長老は慈悲の瞑想とヴィパッサナー(マインドフルネス)瞑想の2つを勧める。瞑想で心を育てれば、生きる能力が向上する。2018/03/21

harhy

3
なかなかわかりやすい。2023/05/13

すきま風

3
怒らないことを貸してくれた方が、これも読む?と貸してくれた本。挨拶を返してもらえないと、すぐに相手に嫌われていると思う私には救いのある言葉があった。しかし、ゴキブリを慈しむだけで出て来なくなるなら凄いが…それだけは賛同しかねるなあ。2012/11/24

ja^2

3
こうした世知がない世の中で毎日を暮らしていると、知らず知らずのうちに心に澱のようなものが溜まってくる。 例えば、「あの野郎、死ねばいいのに」なんて本気で思っていたりするのだ。 はっとして、この手の本を読みたくなる。この手の本は、心の平安を取り戻してくれるからだ。 キリスト教信者が日曜日に教会に行って牧師の話を聞くのも、心を奇麗に保つためなんだろうな、きっと。2012/10/28

やまえつ

2
生きるとは何かという問いから始まり、人生は全て苦であり、幸福は捏造されたものであり、私というものも捏造されたものであると説く。結局、真の幸福は苦を減らしていって、完全になくしたところにあるということらしい。2009/03/27

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