内容説明
戦争、戦争のうわさ、地震、大火災、敵意、差別、そして苦しみと病気に耐える人々。弱者の救済に生涯を捧げたハーバート/マデリン・ニコルソン夫妻のライフストーリー。
目次
真珠湾攻撃
アメリカの日本人
潜在的危険
クエーカーの教育
日本へ
船長の娘
関東大震災
日本での日々
戦雲
収容〔ほか〕
著者等紹介
ウィルク,マーガレット[Wilke,Margaret]
共著に「悲しむ人たちをなぐさめる」がある
ニコルソン,ハーバート[Nicholson,Herbert V.]
1892年ニューヨーク州で、熱心なクエーカーの家庭に三男として生まれる。1915年フレンド派の宣教師として来日。水戸で農村伝道を展開。関東大震災を体験。1935年「愛友園(老人ホーム)」を建設。1940年アメリカのスパイとして疑われ、米国に帰国。真珠湾攻撃の後、困難の中にある日系人のため、身の危険をも顧みず、全米の収容所の慰問に奔走。日系人強制収容所の閉鎖と日系人の権利の擁護のため陳情活動を精力的に行う。1945年日本への原爆投下に対し、政府への抗議の書簡を送る。1947年終戦後の日本の食料危機を知り、山羊を日本に送る運動の先頭に立ち、沖縄を訪問。1948年日本の子供たちに山羊のミルクを提供するため日本を訪問。1950年日本に再来日。近江八幡を生活の拠点として、日本全国の結核療養所、ハンセン病療養所、刑務所などを訪問。死刑囚や結核患者達の友となる。1962年帰国。回想記の著述にあたりつつ、病院や看護ホームに入居している日系老人のため奉仕。1978年広島、長崎の原爆記念式出席のため来日。1981年戦時中に強制収用された日系人への補償に関する連邦委員会での聴聞会に証言者として立ち、収容中に死亡した人々への記念基金を提唱。1983年召天。91歳。ニコルソンと共に献身の生涯を送ったマデリン夫人も同じ年に召天。95歳
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