内容説明
ひとりの政治家を見るとき、その政策や発言に捕らわれてはならない。語ったことや語られたことではなく、政治家という人間から語られなかった言葉をすくい上げるのが政治評論であり、文藝評論家の仕事である。江藤淳の「小沢論」を引き受けて、さらに展開させた文学的小沢一郎論。
目次
はじめに 「小沢裁判」とは何だったのか
第1章 江藤淳と小沢一郎
第2章 小沢一郎の「政治哲学」
第3章 小沢一郎とアメリカ
第4章 西部邁の「小沢論」を排す
付録 特別対談
著者等紹介
山崎行太郎[ヤマザキコウタロウ]
哲学者、文藝評論家。「江古田哲学研究会」主宰。慶應義塾大学哲学科卒。同大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大を経て現在日大芸術学部講師。一方、文藝評論家としては、『三田文学』に発表した「小林秀雄とベルグソン」でデビュー、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。「イデオロギーから存在論へ」をモットーに、文壇・論壇に蔓延する予定調和的言説の脱構築的解体を目指す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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B-Beat
4
☆この本に出てくる「国民」という言葉の概念。国民という言葉は、今現在のこの日本列島に住んでいる人々だけを意味しているのでなく、かつて住んで亡くなっていった人々やこれから生まれるであろう人々など過去や未来の人々も含有されると。今更ながら目からうろこでした。2012/07/11
叛逆のくりぃむ
3
ορείχαλκος (@oreichalkos_)さんがこの本を推薦した時、私は彼の真意をはかりかねてゐた。しかし、その疑問は読んだ時に氷解した。本書は、文芸批評家である筆者が、「小沢一郎」といふ事象を内在的に分析することにより政治家の責務を明らかにしたものである。マスメディアに圧倒的不人気である彼が所謂「政治家」として生き残ってゐる理由が垣間見えた。なお本書には作家佐藤優との対談も収録されており、こちらも必読である。 佐藤優の「私のマルクス」(文春文庫)以来、再読に価する本であった。2012/08/30
teddy11015544
2
小沢一郎の評伝ではなく、政治や国家に対する考え方の本です。まとまった構成ではありません。いずれにせよ自分でとことん考えよ、というのは最近よく耳にする言葉だが、それはしんどいよね。だから政治家の中から代理人を立てるわけだけど、まわりがいろいろ情報を操作しているみたいだし、誰を信じたら良いのか、情報が多いせいでわからなくなってしまったよね。この本を読んでもさっぱりわからない。信じたら馬鹿だし、放り投げたらアホやし。あーあ、とすればやっぱり直感・好き嫌いしかないのかな。2012/08/18
米村こなん
0
研究会(29回)講読本。文芸批評家らしく小沢の《どろどろとした実存》を摘出する。小川某の安部ちゃん論より格段にましな批評だ。2016/03/09