内容説明
かつて日本の文芸批評とフランス現代文学研究の俊英として知られた江中直紀。急逝した彼の遺稿を、芳川泰久・渡部直己・〓(すが)秀実・重松清という四人の旧友が編んだ、最初で最後の評論集。
目次
1(ヌーヴォー・ロマン―継承と照応;クロード・シモン論―その謎の探求と運動;作品とテクストのあいだ―クロード・シモンの中心紋をめぐって ほか)
2(濃密な言葉の渦から生まれる「物語」を綴るヌーヴォー・ロマンの作家;想定・書換のはてしない連鎖―数が物語・説話における陥没点に;センチメンタル―昭和六〇年人物論「田中小実昌」 ほか)
3(千の愉楽・万の喩楽―中上健次論;女、生、文字―近松秋江論;構造のまぼろし―山の手線から山陰線へ ほか)
著者等紹介
江中直紀[エナカナオキ]
1949年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。75~77年にフランス政府給費留学生としてモンペリエ第三大学に留学ののち、79年、平岡篤頼研究室の後輩だった芳川泰久・渡部直己と「レトリック研究会」を立ち上げ、批評活動に入る。81年、早稲田大学文学部専任講師。後に、助教授、教授。83年、批評誌「杼」を〓(すが)秀実・芳川泰久・渡部直己らと創刊。文芸誌「海燕」等でフランス同時代文学を批評・紹介する傍ら、第九次「早稲田文学」編集人として重松清らと同誌の編集にあたった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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gu
6
「ことばが書かれる前には何もなく、まして〈意味〉などありはしない」「読むときに、そのつどはじめて産出されるものにすぎないのだから」「書くことはそれ自身の法則に支配され」「連想の動きが事件の時間的順序に従う筈はなく、言葉で書かれたものは言葉自身の軌跡を辿るほかはない」「作品が書かれる前にも言葉はあり、ある一つの言葉はそれ自身の歴史を持っている」「虚構の作品は決して現実を再現しないが、作品は常に言葉を再現する」「言葉に注意を払わなくても読めるような作品は読むに値しないのである」2014/11/03
兵頭 浩佑
1
批評は批評だった頃 他言語をめがけて 槍投げをした ささった槍は 今も揺れてる どのページでもいい。特に派手なのを好むのなら、今なお一本だけぶっ刺さっている「作品とテクストのあいだ」を読むといい。 令和のこの、終わり過ぎている文芸状況からすればあれはただのグングニルである。好きなだけ仰ぎ見よ。お前らには到底無用な超古代兵器である。てか、はよ訳して欲しかった。2022/09/18