Serica critique<br> テレビはどう見られてきたのか―テレビ・オーディエンスのいる風景

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Serica critique
テレビはどう見られてきたのか―テレビ・オーディエンスのいる風景

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  • サイズ A5判/ページ数 229,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784796702522
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C1036

内容説明

テレビが登場して半世紀。テレビは、私たちの生活の重要な一部となった。しかし、そのことが同時に、テレビについてあらためて考えることを私たちに忘れさせてしまった。テレビは論じられることも少なくなり、研究の舞台でも片隅に退いている。本書は、「テレビ五〇年」を機に、テレビの自明性を解体し、テレビとオーディエンスの関係を再考する試みである。テレビとは何なのか。「オーディエンス」とは誰なのか。それは、どのように社会的なカテゴリーとして構築されてきたのか。そして、今日どのようなオーディエンス論が可能なのか―こうした問いから、生活の「風景」としてテレビがどのように見られてきたのか、考えてみよう。

目次

1 オーディエンスの理論(「消費者」、「視聴者」、そして「オーディエンス」;アクターとしてのオーディエンス;テレビと家族―家族視聴というディスクールをめぐって)
3 オーディエンスのいる風景(家族と国家の可視化と「ナショナルな主体」の想像/創造;テレビ・ジャーナリズムの「受け手」像を探る;オタクというオーディエンス;「天皇の逝く国」のテレビとオーディエンス;「イラク攻撃」、「テレビ」、そして「オーディエンス」)
3 オーディエンス研究の展望(テレビ・オーディエンス研究の現代的地平)

著者等紹介

小林直毅[コバヤシナオキ]
1955年生まれ。県立長崎シーボルト大学国際情報学部助教授。メディア文化研究、文化社会学。メディアテクストとメディア言説にかんする理論研究と事例研究を進めている。とくに事例研究では、戦後社会文化史の検証という文脈でテレビ文化研究とともに水俣病事件報道の研究にも取り組んでいる

毛利嘉孝[モウリヨシタカ]
1963年生まれ。九州大学大学院比較社会研究院助教授。社会学・文化研究専攻。メディアと都市空間における政治と文化の関係に興味がある
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。