内容説明
イギリスのドイツに対する経済封鎖は、女性と子どもを中心に76万人の餓死者を生む。二度と飢えたくないという民衆の願いは、やがてナチスの社会政策や農業政策にも巧みに取り込まれていく。ナチスを生んだ飢餓の記憶。銃後の食糧戦争。
目次
はじめに 戦争と食糧
第1章 大国が飢える条件
第2章 食糧危機のなかの民衆と政府
第3章 日常生活の崩壊過程―「豚殺し」と「カブラの冬」
第4章 食糧暴動から革命へ
第5章 飢饉からナチズムへ
おわりに ドイツの飢饉の歴史的位置
著者等紹介
藤原辰史[フジハラタツシ]
1976年生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士課程中途退学。京都大学人文科学研究所助手を経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科講師。専攻は、農業思想史・農業技術史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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佐島楓
47
「カブラ」というのは飢えの中、主食とされた西洋カブのことである。第一次大戦において餓死したとみられるドイツ人は実に76万人。日本のように島国でなくとも、経済封鎖され、さらに政府の誤った政策、スペインかぜの流行もあってバタバタと倒れていった人々。被害が当時の史料にしたがって克明に書かれており、この飢餓体験の結果ナチスの台頭を許した経緯も記されている。大きな歴史の流れが少し見えた。2015/09/19
ののまる
19
イギリスの経済封鎖とドイツの農業政策の失敗により、銃後の女性と子ども中心に76万人の餓死者を出した第一次世界大戦期のドイツ。ヴェルサイユ条約の過酷な賠償金がナチスの台頭に繋がるのは確かだが、この「カブラの冬(1916-1917)」に象徴されるドイツ空前の餓死の記憶と、経済封鎖によるいわゆる「食べ物の恨み」が引き起こしているという指摘は頷ける。同質の現象として現代の食糧・資源戦争と、現代社会の飽食にまで思索は及び、非常に示唆に富むし考えさせられた。2015/12/18
ようはん
18
第一次世界大戦時のドイツで起きた「カブラの冬」と呼ばれる70万人以上の人々が餓死した飢餓について。元々自給率が高くは無く長期戦を想定していなかったドイツの状況にイギリスの経済封鎖が加わり起きてしまったが、闇市の横行や配給などの対策は太平洋戦争末期から終戦直後の日本にも通じる。ドイツが不幸であったのは食糧対策の失敗にて政治不信が増してナチスの台頭する余地を生んでしまった事であろう2025/01/18
kuukazoo
14
第一次世界大戦期、食料を輸入に頼っていたドイツは英国の海上封鎖を受けた上食糧政策のまずさと農産物の不作などが重なり76万人の餓死者を出した。この民衆に刻み込まれた「食べ物の恨み」をヒトラー=ナチスは巧みに利用し支持を得た。飢えへの不安は決して過去の話ではなく飢えは人から正常な判断力も人間性も奪う。英国が行った海上封鎖を「良心の呵責を感じず相手国の民に行った無差別攻撃」とし、それはアウシュヴィッツにもつながる20世紀的な暴力感覚であったというが、それも確実に21世紀に受け継がれていると思うと暗澹たる気持ち。2025/02/08
Toska
12
WWIのドイツ銃後における餓死者数が、実はWWIIの都市爆撃によるそれを上回ったという衝撃。戦時下の食糧危機は、平時以上に貧富の差を可視化する(富裕層は闇価格にも対応可能)。海上封鎖のトラウマが、東方に地続きの植民地を求めるナチスの政策を後押しした。他方、良心の呵責なく相手国の住民を攻撃できる「兵糧攻め」は、20世紀的な暴力の嚆矢となった。ボリュームは少ないが重要な論点をいくつも含んだ労作。2023/01/19
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