本書では、キリスト教の世界観にある「天国」と「地獄」を、多くの画家が描いてきた「天使」と「悪魔」の姿と表情をとおし、宗教画として見直すという試みである。表題に「絵画史」とあるが、解説される作品は時系列では呈示されていない。テーマごとに部類された「絵画館」だ。 個人的には、美術史の観点ではなく、単純に「絵本」として楽しんだ。紹介された作品から今までの読書が回顧できたからである。 ダ・フォルリの「奏楽天使」(p106) は、篠田節子の『カノン』 (文春文庫)の表紙を飾っている。パルミジャニーノの「弓を作るクピド」(p109)は、私が「マニエリスム」と出会った最初の本、『マニエリスム芸術の世界』(下谷和幸、講談社現代新書)では、第2章の扉でその両性具有的な姿態を見せている。数カ所で引用されるヒエロニムス・ボスのグロテスクな絵の一つ「快楽の園」(p42)は、メディア研究家のマーシャル・マクルーハンが、通信網の地球規模の拡張がもたらす混迷を書いたWar and Peace in the Global Village(邦題『地球村の戦争と平和』番町書房)の冒頭で、見開きで読者の視線を釘付けにする。ダンテの『神曲』を描いたボッティチェリやドレドの作品は、物語をはなれても刺激的だ。 『旧約聖書』の場面を描いた多くの絵画からは、「ことば」以上に鮮明な印象を与えられる。キリスト、聖母マリア、あるいは天使たちの「神々しさ」と、悪魔の「禍々しさ」の対比は、人類が先史時代から潜在意識に刷り込んできた「光」と「闇」との対峙の表象化だろう。宗教の根源が垣間見られる。 「絵画を印刷で再現するのは本当に難しい」(立花隆『立花隆の書棚』中央公論新社)のだろうが、その欠けた印象を、絵画の背景にある物語に思いを巡らすことで、補完できるような気がするのである。なぜならば、絵画には「二次元平面で奥行きのある三次元世界を表現しうるというパラドックスを秘めている」(坂根厳夫『科学と芸術の間』朝日選書)のだから。