内容説明
誰かを幸せにするためによく動き、よく働いた。寂聴さんが編集長を務めた「寂庵だより」から晩年の随想10年分を収録。 これはもう、生きすぎたケジメをつけなければならぬ時がきたと覚悟を決めた。決めたものの、その実行が以前のようにさっさとできないのである。遺書も書けていないし、身辺整理も何一つ出来ていない。このままでは死にも出来そうにない。(「生きすぎたケジメ」より) もう、今夜死んでも不思議ではない年齢だ。今となっては、何も思い残すことはない。書き足りない想いもない。出家したおかげで、あの世を私は信じている。あの世で、先に逝ったすべての人に再会できると信じている。(「法臘四十歳」より)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
れい
7
【図書館】遺言を遺さず、この本も過去へと遡り、ある時ぷつっと終わりになっている。短編エッセイの寄せ集めといった印象。早くお迎えが来てほしいと言いつつも、年齢のわりには新しいことに柔軟でそれが長生きを助けたのではとも思わせる。仏門を潜った人という堅苦しさはあまり感じさせないが、やはり戦争時代を生き抜いた人というのは端々に感じられる。戦争を知る人が居なくなるのも心細い。2022/08/01
B.J.
3
会いたかった2024/03/13
すうさん
3
2008年から2017年までの「寂聴だより」という会員制のお便りを集めたもの。あと数冊このような短編の随筆が出る予定。彼女は「遺言」を残さなかったためこれらがすべて遺言に聞こえると徳島県の学芸員が巻末で述べているが、自分がいなくなった後のことを述べているようには思えない。病気や原稿の締め切りに立ち向かいながら常に「今をもがいて生きている」寂聴さんが感じられる。天台宗の尼さんが仏教を説教するのではなく、「私はこう思うのよ」という語り口で生きるための術を語る彼女の言葉に沢山の人が癒され救われてきたのがわかる。2022/08/18
amdd
2
生まれた時は「長くは生きられないだろう」と言われたそうだが、結果、九十九歳、大往生。七十代でも二晩ぐらいの徹夜は平気でこなし、八十六歳で泥酔騒動、老化を感じたのは九十代のことだという。何とバイタリティーある人か。死ぬ時は、ペンを握ったまま、机に突っ伏して息絶えていたいとのこと。実際はどうだったのだろうか。とても素直な文体で、心にスッと入ってきた。2022/06/12
なかちゃん
2
「寂庵だより」の随筆をまとめた一冊で、10年ごとにまとめて3冊にシリーズ化されるうちの、今回は80代後半から90代の晩年の随筆です。本やテレビで見ていても忙しくパワフルな寂聴さんでしたが、気持ちもパワフルだったんだなと読んで感じました。次も楽しみです。2022/04/13