内容説明
なんだ、小説じゃないか? そう、これはコラムではない。稀代のコラムニストが、初めての小説を通して描く東京の街と人々
「この文章を書きはじめるにあたって、私は、これまでコラムやエッセイを書く上で自らに課していた決まりごとをひとつ解除している。それは『本当のことを書く』という縛りだ」。
高度経済成長期から見つめてきた東京の記憶が今、物語となって蘇る。
【目次】
序文
残骸 ─新宿区
地元 ─江戸川区
傷跡 ─千代田区
穴 ─墨田区
トラップ ─世田谷区
サキソフォン ─杉並区
ギャングエイジ ─台東区
八百屋お七 ─文京区
相続 ─葛飾区
焼死 ─品川区
カメの死 ─練馬区
はぐれたレンガ ─目黒区
外界遮断装置 ─板橋区
幼馴染 ─大田区
見知らぬ赤子 ─荒川区
猫 ─足立区
蔦の部屋 ─中野区
欄干 ─北区
棒読み ─中央区
稼業 ─渋谷区
記憶 ─豊島区
継母の不倫 ─江東区
ダイヤモンド ─港区
プラ粘土
鳩
スパイク
指環
タイプライター
ロレックス
居なくなる男
2月の蛇
月日は百代の過客にして
あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
113
小田嶋隆氏初読。あとがきに2022年5月赤羽の自宅にてとあり、その後逝去されたそうです。東京23区と周辺に散在するいくつかの街についてのショートストーリー。「街についての記憶は、必ずしも固定的な事実に関連付けられた情報ではない。」「東京の人間が「地元」として認識する範囲は、人口にしておおむね200万人、広さにして10キロ四方までが限界ということになる」23区の過去と人々、土地の記憶の物語を読みながら、読者としてその土地の記憶と空気が甦る。「月日は百代の過客にして」で芭蕉との対話が、著者の結論なのでしょう。2022/11/11
いたろう
67
著者はコラムニスト、だが、これはコラムではなく短編小説集。タイトルから、東京を舞台にした不思議な話を集めた本なのかと思ったが、超現実的な話は、最後の1編だけ、あとはリアルな人間模様が描かれている。東京23区各1話、プラス8話の構成だが、長江俊和さんの「東京二十三区女」のように、各区に関する薀蓄、意外な史実、都市伝説などが語られる訳でもなく、地名が出てくる以外はどの区でも成り立つ話ばかり。著者は、この本が出版された直後に病気で亡くなっているよう。あとがきの日付が、亡くなる前の月という、当に急逝に驚くばかり。2022/10/21
R
60
文筆家ながら、小説は本業ではなく本作が初ということで、すごく楽しそうに書かれた文章でした。著者自ら素人というだけあって、自分が書いて楽しいというのが前面に出てるのが、読んでて伝わってくるようで、これはこれで軽くて楽しいと読み進められた。ドラマチックな日記とでもいうような、思いついたシーンの連作という感じで、面白い小話を聞いたみたいな楽しみ方ができた。ちょっと悲しいオチがつく話が多いのが、やや残念に思ったのだけども、おおむね楽しそうで気持ちよく読めた。2022/10/24
ネギっ子gen
53
【年月を経た記憶は、そもそもフィクショナルなものだ】 急逝したコラムニストが小説形式で描く、東京の街と人々。<この文章を書きはじめるにあたって、私は、これまでコラムやエッセイを書く上で自らに課していた決まりごとをひとつ解除している。それは「本当のことを書く」という縛りだ。コラムは小説ではない。事実と真情を書くことが前提になっている。コラムニストがウソを書くと、コラムはコラムでなくなる。だから、ふだん、私は、原則として、事実に即した書き方を心がけている>のだが、ここでは、禁忌を緩めるつもりだと。この読点!⇒2022/09/22
かんやん
40
追悼:小田嶋隆。最後の著書はまさかの小説、エチュード的な掌編小説集である。主に東京二十三区を舞台に、時の移り変わりを描いている。特にドラマチックな展開もない、病や老い、人生の浮き沈み、生別や死別の話の数々は、いつかどこかで人から聞かされたかのようでもあり、読みだすと止まらない心地良さ、いつまでも読んでいたい。もっと読みたかったですよ。2022/07/21