内容説明
第二部「コゼット」。みずから自分の過去を明らかにしたために、市長から一転してふたたび監獄生活にもどったジャンは、軍艦で労役中にマストから海に飛びこんで巧みに脱出する。自由を得た彼は、死に瀕した売春婦ファンチーヌとの約束にしたがって、幼くして捨てられたその娘コゼットを悪辣な養父母のもとから救い出し、彼女を伴ってパリの暗闇の中へと潜入する……。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
428
どうやらユゴーには小説の構成意識が希薄なようだ。第1巻でもそうだったが、この第2巻でもそれに輪をかけるくらいに延々と説明的な言辞を述べてしまう。第1章の「ワーテルロー」と第6章の「プチ・ピクピュス」がそうである。ここに来て、私たち読者はあるいはこの物語の読み方を間違っていたのかもしれないという懐疑に遭遇する。すなわち、ジャン・バルジャンとコゼットのプロットを追うことは、物語全体の中では実は副次的なものだったのではないかというのがそれである。ユゴーがここで描いたのは19世紀前半の大きな社会的・歴史的な⇒2022/05/17
ケイ
147
『ワーテルローの戦い』についての記述が興味深い。ナポレオンのした事を肯定は出来ないがウェリントンを素直に認められない。革命を始めたのはフランスで他の国はまだ国王を抱えている、勝った者達はウィーン会議による世界の方向転換で皮肉にもそれぞれ国内での基盤が弱くなったと述べる。明治維新で勝った薩長土もそんな感じかなとふと思う。フランスで受けた授業で欧州近代史はウィーン会議後だと習ったが、それをここでユゴーは書いている。他の国でも同じ捉え方だろうか。二巻では、あと、ブチ・ピクピュス修道院に説明が多く割かれる。2017/10/06
扉のこちら側
99
初読。2015年1113冊め。【68-2/G1000】冒頭のワーテルロー戦いのお話は読んでいてこんなに長く必要なのかと思いつつも、引き込まれてしまうのは原作の描写か翻訳のうまさか。ファンチーヌの遺児コゼットを救い出しての逃避行。1巻での司教とのエピソードよりも宗教色が濃くなっていくところに注目。【第6回G1000チャレンジ】【新潮文庫の100冊1996】2015/11/04
ヴェルナーの日記
83
『レ・ミゼラブル』を翻訳すれば、「悲惨な人々」とか、「哀れな人々」という意味になるが、黒岩涙香は、『噫無情』(ああむじょう)とした。何故だろう?思うに、本巻の冒頭から始まるワーテルローの戦いの場面が多分に描かれているからではないかと考える。もしナポレオンがエルバ島から脱出せずに、ワーテルローの戦いが起きなかったら、宰相タレーランの働きでフランス国内の状況は、あまり酷くならなかったはずだからである。しかし、ワーテルローの戦いによりタレーランの働きは水泡に帰してしまう。これを無常といわずして何というべきか。2015/04/02
びす男
73
「幸せ」とは不思議なもので、不幸な人同士が巡り合った場合もそこに生まれる。ジャン・バルジャンとコゼットが出会い、逃避行を始めた■ワーテルローの戦いや修道院についての長々とした考察に、興味深さは覚えるものの食傷気味になる。もちろん、ここを踏まえないと物語は味わえない。映像や舞台で表現しきれない深みはむしろ、こうした余談から生まれるはずだ■「屋根裏部屋を見事に染める幸福の影ほど、美しいものはない」。革命と戦争に世界が翻弄されている。無力な2人は果たして、「屋根裏の幸福」を守れるのだろうか。2018/10/17