内容説明
「すべて是路傍の人であると思いながら、すべて無縁の人であると思いながら、私はその感じに終始していないで、路傍の人々と一しょに闘技場に出ているのであろう」究極のニヒリストにして、八十三歳で没するまで文学、芸術、世相に旺盛な好奇心を失わず、明治・大正・昭和の三時代にわたって現役で執筆を続けた正宗白鳥。その闊達な随筆群から、単行本未収録の秀作を厳選。
目次
空想としての新婚旅行
如何にして文壇の人となりし乎
静的に物を観る
行く処が無い
勤勉にして着実なる青年
演奏会の休憩室
モデル
日常生活
「処女作」の回顧
予がよみうり抄記者たりし頃
初夏の頃
蝋燭の光にて
歳晩の感
断片語
角力を見る
読売新聞と文学
故郷にて
女連れの旅
私も講演をした
評論家として
身辺小景
墓
読書について
故人の追憶
思い出
故人数人
私の青年時代
弔辞(徳田秋声)
八月十五日の記
新年の思い出
少しずつ世にかぶれて
処女作の頃
すべて路傍の人?
漱石と私
座談会出席の記
御前座談会の記
身辺記
円本のことなど
明治三十年代
我が悪口雑言
小杉天外翁と語る
天外翁と私
編集者今昔
今年を回顧して
「新潮」と私
人生おとぎばなし
恐怖と利益
新春に思う
知人あれど友人なし
弔辞(室生犀星)
滅びゆくもの
解説
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
U
25
随筆をよむと、作家の人となりがダイレクトに伝わる。白鳥は、虚無主義がその大部分を占めるひとだ。空虚感やけだるさなどは、ある意味自分自身に多少、必要な気持ちかもしれないと思った。歯に衣着せぬものいいに潔さを感じ、するすると面白くよめた一方、強烈な印象も受けたので、彼のことは小説を通じて味わいたい、とも思った。「芸術の神髄を理解するのは、その方面の貴族であると云っていい」「ただ真なるが故に新なり」はっとすることばも多く。小林秀雄をつうじ知った白鳥、なかなか楽しいひとだ。2015/08/11
shinano
16
「漱石と私」★ 白鳥の「自分」を夏目漱石で出す。逸文か★ これはこれで、面白い。 文芸は客観ではないことを白鳥はいいたいのだろう。わかる。だか、評論での自感の補強は、客観をも論点にもってって、持論の客観とのオセロを「説かなければ」、小学生の読書感想文にしかならないとぼくは思うが白鳥は違う。我(我の文学観)との対比でしかない。教えられることは多々あるが、これは視点の設け方と感受性でしかないのだから、そこを白鳥は「自」で押している、押し方が『キツい』だけか。白鳥「創作」が世に受けなかったのを次読もう。2019/08/28
ジャズクラ本
11
◎小林秀雄の新潮CDで興味を惹かれて手に取った随筆。白鳥の物した随筆のなかで単行本等未掲載のものを坪内祐三(今年1月逝去)の選によって年代順に取り上げている。若年の頃は命に関わる胃腸の不具合のためにそれ程長くは生きられないだろうと諦観していた為か随所に厭世的な気分が垣間見られるが、結局83歳まで生き長らえ、壮年以降にはニヒリズムにまで昇華した様々な文章所見が光芒を放っており、戦争観や作家論、出版社、座談会を評したなかにそれらが珠玉の如く散らばめられている。何度も再読して楽しみたい一冊となった。2020/06/13
yoyogi kazuo
2
坪内祐三の解説を先に読む。するするするすると読める、というが、確かにすんなり読めて心地よい。つまらないものを「つまらない」と切って捨てる、この身も蓋もない投げやりさは、ある種晩年の小島信夫のエッセイに通じるものがあると思った。究極のニヒリスト、と裏に書かれているが、若い頃に基督教の信仰を潜り抜けて来たからこそここまで虚無に徹することができるのかもしれない。2021/11/24
Lieu
2
元気だった人が歳をとってから体が弱くなり厭世的になることはよくあるが、白鳥は若い時から胃弱で(とはいうものの天麩羅を好んだり午餐に刺身を欠かさず食べたりするらしいので怪しい)生涯に渡りずっと意識の低空飛行であった。御前座談会に出席するくらいだから相当世渡りが上手く、厭世家も作家としてのキャラだと思うが、他の作家を見る目はたしかで、長生きをしたこの人を通して近代日本の文壇の全体像が見えてくる。ところで『評論家として』で紹介される荒木陸相が『戦争と平和』の愛読者であったという記事はどこに出ているのだろう。2021/03/27