内容説明
ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀フランスの思想家、モラリストである。彼が残した『エセー(随想録)』は、古典知識の集大成であると同時に、知識人の教養書として古くから受け入れられ、その真理探究の方法、人間認識の深さによってデカルト、パスカルなどの思想家に影響を与え、今日にいたるまで古典的な名著として多くの人々に読みつがれている。本書には、「エセー」の中で最長、最大で、難解をもって知られる「レーモン・スボン」の章を収録している。この章には「わたしは何を知っているのか(ク・セ・ジュ)?」というモンテーニュの有名な言葉がおさめてあり、人間の理性、判断力、知識には限界があることを謙虚に認め、試行錯誤を恐れずに真理を追究しようとしたモンテーニュの思想をよく表しているといえる。 《学問や芸術・技術は鋳型に入れてさっとできるものではなく、「熊が子熊をなめ回しながら、じっくりと時間をかけて育てていくように、それを何度も何度もいじくって磨いていくうちに、少しずつ形ができていく」といったことなのである》。モンテーニュのイメージを一新する平易かつ明晰な訳文で古典を楽しもう。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
マッピー
18
白水社の『エセー』全7巻の折返しの第4巻にして最難解と言われる「レーモン・スボンの弁護」収録。「レーモン・スボンの弁護」とは、理性によって信仰を立証しようとしたスボンの論をモンテーニュが弁護しようとしたものである…はず…なのだけど、気がつくと神に選ばれた人間という存在=特権的存在を徹底的に否定している。あれれ?難解な部分も終えて、エセ―の坂も下りに差しかかります。とおもったら、次巻はもっとも分厚い巻になるらしい。1巻も相当長く感じたんだけどなあ。毎回が勝負巻の『エセー』。頑張らねば。2023/04/12
いとう・しんご
11
17世紀初め、先行世代の知的混乱に失望したデカルトは方法の探求と誤謬の原因追及に取り組むことになるのですが、16世紀末の本書はまさにその混乱ぶりをハッキリと見せてくれます。古代ギリシャ・ローマや東西インド由来の奇譚の連続はまるで百鬼夜行絵図か鳥獣戯画。そして理性や知覚に対する不信が不可知論と相対主義をもたらすのですが、著者はパスカル的な絶望、ニーチェ的な虚無に陥ることはないのです。そこには戦乱の時代に怖い思いをくぐり抜けながら生き延びた人に特有な、したたかさとしなやかさがあるんだと思いました。2023/11/16
はなよ
8
ピュロン主義がこれでもかと詰まった「レーモン・スボンの弁護」が丸々一冊で表現される。凄い長いうえに、現代の科学を知る私達にとっては笑うしかない表現も多々あるので、適当に読み流すのが一番かも。だけど、いかにも事実のように言われている出来事も疑うというのは、現代でも当てはまる。例えばアンケートや様々な治験の結果。これだって、実施している側が求めている結果を出すような人間を集めれば、その通りになってしまう。~千人が導き出した結果、と言われたところで、それを全て信用しない事が一番かもしれない。2017/10/16
湿原
7
第4巻「レーモン•スボンの弁護」はモンテーニュが集積した、古代文献からの知識を総動員した重厚な巻である。ルクレティウスを主として、様々な哲学者の引用と、モンテーニュの思考が見事に調和されている。『エセー』を読み始めて、ようやく折り返し地点を迎えたわけだが、難しいながらも、全く飽きはこない。むしろ喜んで著者の考えを吸収しているように感じられる。さて内容についてだが、レーモンスボンの「信仰を理性によって支える」といった主張の弁護のはずだったのだが、弁護は前半のほんのわずかな部分のみで、あとは人間の理性の無力さ2023/06/07
amanon
3
結局、一体何の話だったのか?訳者が最も難関と謳っていたため、かなり身構えて読み進めたが、理解の程はともかくとして、文体は平易だったため、わりにサクサク読み進めることができはした。しかし、首尾一貫した流れがあるようなないようなという、かなり取り留めなのない内容という印象が拭えない。実際、章立てが全くないという原著に章立てを施すという試みもなされたらしいが、さもありなん。解説にもあるように、スボンを弁護すると題されていながら、スボンへの反論も見受けられるというのだから、その意図するところは不可解極まりない。2021/01/24