内容説明
世界人口の9人に1人が飢餓で苦しむ地球、義務教育なのに給食無料化が進まない島国。「あたらしい食のかたち」を、歴史学の立場から探り、描く。
目次
第1章 縁食とは何か―孤食と共食のあいだ(孤食の宇宙;しわ寄せ引き受け装置 ほか)
第2章 縁食のかたち(公衆食堂の小史;食の囲い込み ほか)
第3章 縁食のながめ(弁当と給食の弁証法;無料食堂試論 ほか)
第4章 縁食のにぎわい(死者と食べる;食を聴く ほか)
第5章 縁食の人文学(「もれ」について―「直耕」としての食;パンデミックの孤独―「居心地のよい空間」をめぐる人文学)
著者等紹介
藤原辰史[フジハラタツシ]
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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けんとまん1007
70
食を巡る論考。衣食住の中で、食は欠かせないもの。エッセンシャルワーカーという言葉がクローズアップされ、食への見方も変わりつつあると思っている。これは、自分なりの答えでもある。そんな食についても、個食・粉食・孤食など、いろいろな言われ方がされてきた。その中で、縁という言葉の持つ意味は、社会の在り方・生き方につながるもので、貴重な視点だと思う。2021/02/19
ネギっ子gen
60
【縁食は、ちょっと立ち寄れる。誰かがいる。しかし、無理に話さなくてもいい。作り笑顔も無用。停泊しているだけなので、孤食もOK】孤食でも共食でもない「縁食」をテーマにしたエッセイ集。2020年刊。<あまりにも私たちは共食に期待をかけすぎていないだろうか。こころとからだに痛みを覚えながら、それでもひとりぼっちで食べざるを得ない子どもたちに居場所を与えるヴィジョンとして、あまりにも一家団欒というイメージに拘泥しすぎてこなかっただろうか。/孤食という険しい山を登りきることができる集団は、家族>だけなのか、と――⇒2025/03/21
shikashika555
51
著者が論じるのは「食の脱商品化」である。 今まで気づかなかった食に関する問題点や 共食と縁食との違い、何よりこれまで特定の性に食まわりの仕事を押し付けてきたことの暴力性が繰り返し述べられている。 家族を大切に思い食卓を囲み癒し元気づける「家庭の力」が、第三者の利潤に転換するための言葉として用いられてきた事にも。 食の脱商品化に伴い考えられる問題点も述べられている。 性善説に立脚したような問題点に対する反論は やや荒削りにも思えるが、必要な人の口に入る食を人間らしい形で届けたいという熱意に打たれる。 2021/08/21
はっせー
43
「家族ではない誰かと食卓を囲む」本書は孤食でも共食でもない、緩い繋がりとしての「縁食」の可能性を模索したものになる。まず「縁食」とは何ぞやと思う人がいるだろう。「縁食」とは、1人で食べる「孤食」や家族といった共同体意識を強く持ってしまう「共食」ではない、複数の人たちが同じ空間で食を囲み、それぞれの縁を繋がれる場。本書では「こども食堂」が例として出ていた。自分の身になって、自分にとっての「縁食」ってなんだろうと考えてみた。私なりの「縁食」は本好きさんとご飯やお酒を飲む場が「縁食」にあたるかなって思った😊2025/05/18
Nobuko Hashimoto
33
食の思想史の専門家による、孤立せず、でも押しつけず、ゆるやかにつながりながら食べること=「縁食」(著者の造語)の創出に関するエッセイ。子ども食堂や炊き出し、第1次大戦時の公営食堂、宗徒に限らず受け入れるインドの寺院の無料食堂などのような公共性の強いものから、お店の人や客同士が自然と知り合っていくような学生街の食堂や、縁側に近所の人がちょと寄っていくお茶の時間のような私的だけどオープンでもある場など。「サードプレイス」を提唱するオルデンバーグ自身が見落としていた、排除的な社会をほぐす機能の重要性を主張する。2020/12/04