内容説明
独立研究者として、子の親として、一人の人間としてひとつの生命体が渾身で放った、清冽なる19篇。著者初の随筆集。
目次
―偶然の贈り物
1(捨身;風鈴 ほか)
2(君が動くたび;意味 ほか)
3(変身;いまいる場所で ほか)
4(パリ;母語 ほか)
著者等紹介
森田真生[モリタマサオ]
1985年、東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続ける傍ら、国内外で「数学の演奏会」や「数学ブックトーク」など、ライブ活動を行っている。著書に『数学する身体』(新潮社、第15回小林秀雄賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
105
数学が好きか嫌いかでいえば、嫌いである。義務教育段階でお手上げ状態に入り、苦手科目であった。数学についていけなくなった人に、森田は、こんなことを言っている。「自分が数学についていけなくなったのではなく、むしろ、意味が数学についていけなくなったと考えてはどうか。自分が数学に置いていかれたのではなく、自分が数学ととともに意味を後ろに置いてきたのだ」と。この本を読むと、少しは数学アレルギーが解消されるかもしれない。2021/05/10
けんとまん1007
63
どう表現すればいいのだろうかと考える。思考の漢方薬かな。ゆっくりと、深く、静かな思考が広がる。こんな風に、物事を考えてみたい。この中で、二つが特に、心に響く。ひとつ目は、教育義務。本を読むことや、それを展開することがあるので、少しはできているかも。ふたつ目は、戸惑いはパニックより謙虚であるという言葉。これには、唸ってしまった。戸惑いながらも、諦めずに考え続ける。素晴らしい言葉の出会いに感謝。2021/10/14
@nk
53
数学が分からなくなったとき、「自分が数学についていけなくなったのではなく、むしろ、意味が数学についていけなくなったと考えてはどうか。自分が数学に置いていかれたのではなく、自分が数学とともに意味を後ろに置いてきたのだ。(p.058)」とある。何かを伝えるための手段(言語)でしか数学を捉えていない人が多く、世の中には行為に先立つ意味が存在しないもので溢れているのだから、分数の割り算をすることに意味を求めてしまうのは捉え方が違っているのだ、とも。生まれたばかりの子を観察しながら語られるこの発想が、まさに私への⇒2023/10/31
モリー
50
独自研究者として数学の魅力を伝える活動を行っている著者が、人生や社会、教育など様々なテーマについて、ソクラテスやプラトン、はたまた孟子にライプニッツ、「サピエンス全史」の著者ハラリら古今東西の哲人達の言葉を織り交ぜながら、日常生活の中から掴み取った哲学的断想集と言ってもよいのではないでしょうか。どのエッセイも数学のエッセンスを含んでおり、抽象的に考えることの楽しさに目覚めさせてくれました。強いて一つのエッセイを選ぶなら『パリ』。今年の私のテーマである“対話”について書かれています。私の考えも深まりました。2019/05/04
trazom
40
世評の高かった前作「数学する身体」の時も、どうも感情移入できずにいたが、そもそも、私は、この人の文体が肌に合わないのかもしれない。この本でも、フランシスコ・ヴァレラ、ユークリッド、デカルト、道元、芭蕉、荘子などの「言葉」が題材にされるが、原典の意味以上の深みに達せず、腑に落ちた感じがしない。負の数同士の掛け算に関する論考も、記号のルールが先で、意味は後からつくという著者の説明より、若い頃に読んだ遠山啓先生の説明の方が、よほど説得力があると思えてしまう。森田真生さんの真価が、私には理解できていないのだろう。2019/06/03
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