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内容説明
2013年9月に閉店した神戸の海文堂書店。あの本屋はなぜ、こんなにも愛されたのか。最後の店員・平野義昌が綴る99年の歴史と、最後まで一緒に働いた仲間たちの声。レジ、アルバイト、実用、外商、教科書、文芸、新書、児童書、人文、そして中央カウンターと海事書…。本の話よりも、棚の話よりも、だれもが皆「お客さまとの思い出」を語った。今、本屋の現場で働く仲間たちに届ける渾身の一冊。
目次
はじめに
第1章 港町
第2章 画廊と書店誌
第3章 阪神淡路大震災
第4章 最後の店長
第5章 仲間たち
第6章 閉店まで
ちょっと長いおわりに
著者等紹介
平野義昌[ヒラノヨシマサ]
1953(昭和28)年、神戸市生まれ。1976(昭和51)年、関西学院大学卒業後、コーベブックス入社。化粧品販売会社を経て、83(昭和58)年、三宮ブックス入社。2003(平成15)年、海文堂書店入社。2013年9月、同店閉店まで勤務。著書に『本屋の眼』(みずのわ出版、2006年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ゆみ
24
学生時代、元町商店街の服屋でバイトしていたので、神戸の元町にとても思い入れがある。その頃、すでに三宮からは集客という点で差を付けられた場所だった。だけど、海文堂はいつも堂々としていた。そこにあるべくしてある本屋であり、こだわりのある、特別な本屋。洋服以外に興味のない学生の私には敷居が高かった。時代と天災は避けらず、存続は難しかったということなのだろう。でも、京都に丸善が帰ってきたように、無理を承知で神戸に海文堂が帰ってきたらいいのにと思う。ほんと、カッコイイ、イケメンな本屋だったのですよ。 2015/12/04
kochi
21
2013年に惜しまれつつ閉店した、海文堂の歴史と閉店までの日々を、現場で働いていた著者の平野さんが、資料や体験を踏まえて著したもの。海の本を主体とした港町らしい本屋から始まり、古本屋とのコラボや、多彩なイベントなど、本屋にとどまらない活動で全国的にも有名な本屋となった海文堂が、いかに愛された書店であったかは、閉店のその日、会計を済ませた客が名残を惜しんで店の前から動かなかったという事実に現れているか… 気がつけば、いつの間にか閉店している、私たちの周りの大小の本屋さん。海文堂だけの話ではない…2016/06/19
kakoboo
20
巻頭に載っている閉店時にシャッターが閉まっていく瞬間の写真を見ると、涙が潤んできます。神戸を代表する書店の設立から閉店までのいきさつや、その経緯・背景が書店街であった神戸の盛衰と併せて書かれています。単に本を売る場所という本屋の役割のみならず、情報を発信する場所、地域の文化的位置づけであるといったことも書かれていて、リアルの本屋(チェーンではない)の大切さを感じました(チェーンやネットが不要と言っている訳ではありません) 一つの時代の流れを象徴する本屋の歴史を知るという点で貴重な本であると思います2015/09/20
ふう
18
図書館のおすすめ本棚より。神戸元町の本屋さん。行ったことなかったのに既視感があったのは、高田郁さんや碧野圭さくの作品に因るのかな。2025/05/04
とよぽん
17
本を通して書き手側と読み手側の人をつなぐ。さらに、本を売る人と読者、読者同士のつながりも。・・・書店が「文化の担い手」として、地域の大きな存在だということに改めて気付かされた。著者の平野義昌さんをはじめ、店長や店員さんが神戸の海文堂書店を愛し、誇りにしていたことも伝わってきた。作家の小檜山博さんと札幌の難波商店の、原稿用紙を介して結ばれた縁と重なるところも感じて、じんわりとした読後だった。しかし、経営の合理化という大義?で、このような大事な書店をあっさりとつぶしてしまう経営者は残念としか言いようがない。2015/11/22
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