内容説明
ナチス・ドイツ、あるいは明治時代の貧民窟で食べられていたものは?原発とTPPで揺れる日本の食の未来は?歴史の細部から新しい物語をつむぎだし、エネルギー、生命倫理、生活文化をめぐってわたしたちに共考をうながす多彩なテクストの集成。
目次
1 フードコートで考える(「食べもの」という幻影;食の空間論―フードコートで考える;世界的展望なきTPP論争―国益という発想の歴史化を ほか)
2 農をとりまく環境史(耕す体のリズムとノイズ―労働と身体;トラクターがつくった二十世紀の物語―マリーナ・レベィッカ『おっぱいとトラクター』;地球にやさしい戦車 ほか)
3 台所の未来(「食べること」の救出に向けて―『ナチスのキッチン』あとがきにかえて;アイントップの日曜日;貧民窟の食生活 ほか)
著者等紹介
藤原辰史[フジハラタツシ]
京都大学人文科学研究所准教授。専攻は農業思想史、農業技術史。1976年、北海道に生まれ、島根県に育つ。京都大学人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。おもな著書に『ナチスのキッチン』(水声社、2012、第一回河合隼雄賞学芸賞)、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、新装版2012、第一回日本ドイツ学会奨励賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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松本直哉
19
たとえば窒素肥料の大量生産の工程と火薬の工程は似ていて、肥料会社が戦争中に火薬も作るようになった。化学肥料を使わない野菜を選ぶとき、同時に火薬を使った戦争を拒否している。逆に言えば、反戦を叫びながら化学肥料を使った野菜を選ぶ人は自家撞着に陥っていることになる。食べるという個人的な行為が、世界を変えることになりうる。デモに参加したり王をギロチンにかけるだけが革命ではない。何を食べるか、何を食べないかを考えるとき、すでに革命は始まっている。2015/07/22
yukiko-i
16
日々の暮らしを支える「食」について、今のままでよいのか考えさせられる。特に、フードコートという雑多な空間に対する分析が一番共感できた。2015/08/24
YT
9
グローバル資本主義に飲み込まれていく、〈食〉をもう一度取り戻すためのエッセイ・書評集。 未来のために公衆食堂とホコテンを! では、食を飛び越え空間論や、原発に関する話に展開されていっていて、著者の述べる食を取り戻すという論点の肝はこのあたりにあるのかなと思った。 すこし古い本だが、震災後の空気感とそこから産まれた課題が時代を経て解決されることもなく、ズレたまま空中線を繰り広げているような現状からも、まだ読まれる価値はある。 令和の米騒動とか野菜肉の高騰とかも考慮して最新版の著者のエッセイが読んでみたい。2024/12/14
joyjoy
9
「食」について、「食」をとおして自分に何ができるのか、まだまだ考え続けなくては。「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない」。「『料理すること』と『食べること』は、それがたとえ毎日繰り返されるものであっても芸術と呼ぶに値する美的行為である」。「台所はメディアである。・・・意識の持ちようによっては、台所からちょっとずつ世界を変えることだってできる」。具体的な論考の合間にあらわれるこれらの言葉に励まされる。2022/12/09
makoppe
4
食べることからはいろいろなことが学べる。牛乳と天皇制と消費社会の意外な関係、ナチスと今の、「飢える」ことから見える連続性、食べる場所としてのフードコートなどなど…身近で当たり前だからこそ見落としがちな「食べること」から社会を見直してみることは大切だ。だって今の食事は猛烈に働くための「給油」になっている。それでいいわけない。だってみんなちゃんと美味しいもの食べれた方が幸せでしょ?笑2016/03/19