内容説明
ぼくたちは政治について語りすぎている。そのせいで平和から遠ざかっている。ウクライナ、ユーゴスラヴィア、ベトナム、中国…『動物化するポストモダン』の著者による「考えないこと」からの平和論。
目次
第1部 平和について(平和について、あるいは考えないことの問題)
第2部 ウクライナのまわりで(悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題;悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶;ウクライナと新しい戦時下)
第3部 断章(顔と虐殺;声と戦争;博物館の力;哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体について)
著者等紹介
東浩紀[アズマヒロキ]
1971年、東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン創業者。ZEN大学教授。博士(学術)。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(2011年)、『観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
48
ジャンルは哲学・人文書だが、理念的な問題からは背を向けている。正確にいうと、理念的な切り口をしないことで、理念を考える本になっている。本書の理念とは平和だ。著者は何度も「平和を考えないことで考える」方法と言っている。第1部で80~90年代の旧ユーゴ問題が取り上げられていて、いうまでもなく現在のウクライナと重ねている。クストリッツァとジジェクの対立が紀行文の中で出てくるのだが、理念的には確かに左派のジジェクの方が正しいだろう。だが、理念的で正しいことは、実現可能性が高いといえるだろうか。ここでの実現可能性と2026/01/14
エジー@中小企業診断士
37
平和は愚かである。平和とは戦争を考えないこと。ダーク・ツーリズムを通しての思考を綴る。本論は旧ユーゴスラヴィアへの旅。忘却と追悼、大量死と存在の意味、固有名の回復、大量生の意味喪失、収容所と博物館。虐殺の地の上には団地(=大量生)が広がる。旧日本軍(731部隊)の人体実験。悪がもっとも残酷になるのは、その悪に何の意味もないときだ。加害者側の中動態の構え。現代人は「消費者的ー生産者的二重体」リゾートの動物的な安楽さと裏方で支える人間的な生。世界は幻想であり、人間は世界を幻想で覆う以外に何ができるのかを問う。2026/05/02
特盛
35
評価3.8/5。東浩紀が平和と愚かさについて考える。ボスニアやウクライナをはじめとした世界の戦争惨禍の地を踏み記されたエッセイ。人はこんなに賢くて豊かな感情をもつのに、残酷で愚かなことをするのか、が主題。平和の思考不可能性、中動態としての加害、客と裏方の二重性として存在する現代など、興味深い論点だった。youtubeとか見ているとボロボロ満身創痍になりながら戦っている感あるが、ふらふらになりながらファイティングポーズをとっているかの様。いい意味で突き抜け円熟した様に見え、今のスタイルは好きだ。2026/02/25
kan
28
紀行文の形の哲学的平和論。読みやすい文体だが中身は濃厚で、何度も立ち止まり考えながら読み、とても時間がかかった。著者の訪問地はウクライナ、旧ユーゴスラビア、中国、広島など多岐にわたる。特にウクライナのエンタメ的戦争グッズや旧ユーゴスラビアの博物館や資料館のスタンス、大量死と大量生の対照を見せる建物、人間を数値化・抽象化する暴力から名前を取り戻す営み、アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館のインスタレーションの考察には唸らされた。隔離の平和の中、考えなくてよい平和を享受している一人として、再読必須だと感じた。2026/06/20
まると
26
戦争の惨禍を忘却しないよう語り継ぐことが平和の礎になると信じて疑わずにきたが、東さんがダークツーリズムを重ねる中で行き着いた結論は、そんな固定観念を良い意味で覆してくれるものだった。曰く「何も考えず全てを忘れている時に最も平和を感じることができる」のだと。しっくりこなかった部分もあるが、随所に首肯できる箇所があり思考実験としての面白味を感じた。終章の「消費者(客)的ー生産者(裏方)的二重体」の理論も複雑化した社会に生きる現代人の姿をよく言い当てている。次作は「日本論」らしい。期待して刊行を待ちたいと思う。2026/05/31




