内容説明
標高1100~1400メートル。北海道南部と同じ気候という大野ヶ原は、戦後切り拓かれた開拓地の中でも最も厳しい土地といわれた。カヤとクマザサの生い茂る原野を開墾しても、石灰岩が点在する四国カルストの土は酸性で、何を植えても満足に育たず、換金作物になった大根にも連作障害が起きた。ゆたかな酪農地帯となるまでにどんなことがあったのか。開拓一世の夫婦が、過ぎし日の苦難をつづる。
目次
開拓前 「開拓前」の四国カルスト、そこは伝説の残る秘境の地だった。(自然環境―大野ヶ原とは、どんなところか。;歴史―戦いの場となった四国カルスト。;私の生い立ち―予科練で飛行機乗りをめざした少年時代と、敗戦後、再び希望を見いだすまで。;開拓とは―戦前から戦後にかけての開拓の変遷。)
開拓のはじまり 大野ヶ原の「開拓」は、すべてが無からのスタートだった。(入植前の実験―大野ヶ原は開拓地となり得るか。増産隊長・武田寛さんの挑戦。;開拓初期―入植初期の試練、そして私自身が開拓者に。;「なぜ大野ヶ原なのか、心に問うた日々」)
酪農のはじまり 高原に育つのは草ではないのか、長い道のりを経てたどり着いた酪農。(初期の酪農―苦農からはじまった初期の酪農。)
水源林を守るために ブナ伐採阻止に向けて広がった、大きな支援の輪。(ブナ原生林を守る―原生林伐採阻止から中止を獲得するまでの道のり。)
現在の大野ヶ原 そして、今―夢のように変貌した四国カルスト。(思い出・できごと―よみがえるさまざまな思い出、できごと。)
著者等紹介
黒河高茂[クロカワタカシゲ]
昭和4年2月12日愛媛県丹原町生まれ。昭和18年12月鹿児島県海軍航空隊に予科練習生として入隊。昭和20年8月終戦。昭和21年4月愛媛県開拓基地農場勤務。昭和23年3月農林省中央開拓講修所入所。昭和24年3月卒業。昭和24年5月愛媛県開拓協会の指導員となり、大野ヶ原実験農場に着任。昭和25年指導員を辞職し、大野ヶ原開拓地に入植。昭和25年より大野ヶ原開拓組合長を5期務める。昭和28年より民生委員を4期(12年)務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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