内容説明
プッチーニ、サン=サーンス、カザルスら世界的音楽家と親交を結び、日本における西洋音楽の黎明期に、自費で日本初のオルガン付音楽堂を建設、私財を注ぎ込んでその普及に努めた、紀州徳川家第十六代当主の破天荒な生涯。
目次
「器楽的幻覚」の侯爵
音楽好きの若様
紀州の若様のイギリス留学
小泉信三とのケンブリッジ生活
来日音楽家たちとの交友
日本初のコンサート・ホール南葵楽堂
音楽巡礼の旅
超一流の演奏家たち
頼貞、資産三〇〇〇万を受け継ぐ
一年九カ月の世界旅行で豪遊
国民外交の推進
戦時中の耕筰、頼貞、秀麿
著者等紹介
村上紀史郎[ムラカミキミオ]
1947年東京麻布に生まれ育つ。『TBS調査情報』の編集を経て、現在フリーランスのエディター、ライター。文学、美術、建築、映画、ワイン、料理などの編集を主に手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
18
徳川頼貞は、西洋音楽を愛し続けて一生を終えた人(16頁)。慶應の塾長鎌田栄吉は紀州徳川家に関係。彼は1874年、和歌山県から選抜されて慶應に学んだ(28頁)。小泉信三は、ベルリン留学中フランスで、思想界、社交界でも持てはやされるベルクソンの評判を聞いていた(63頁)。巽孝之教授の祖父が、巽孝之丞(こうのじょう)というのは存じ上げなかった。当時の横浜正金銀行ロンドン支店長とのこと(71頁)。 2014/06/28
志村真幸
1
紀州徳川家を継いだ徳川頼貞の伝記だ。 イギリス留学時代にヨーロッパで音楽家たちと交流し、帰国後はコンサートホールをつくり、日本の音楽家たちを支援したり、本場のひとたちを招聘したりと、「音楽の殿様」として知られる。しかし、その実像は明らかになっておらず、忘れられつつあった。 本書は、徳川頼貞に関する資料を渉猟し、できるかぎりの事実を提示したもの。徳川頼貞の人生をまとめた点はおおいに評価されるべき。 ただ、まだまだ抜けている箇所が多く、また推測があまりに多い(なおかつ論拠が十分でない)のは問題だろう。2022/09/14
takao
0
招へいなどにつぎ込んだ2017/10/12
Guro326
0
★★★▲☆ 音楽の素養に乏しいので登場する演奏家や楽曲がどれほどすごいのかがわからないのが残念。紀州徳川家の残り財産を蕩尽して、この国に音楽を根付かせた功績は大。/その南葵音楽文庫の蔵書が読響を経て和歌山県にもたらされたのが先日。/著者は在横浜のようで、巻末謝辞に磯子図書館の名がある。2016/12/14