内容説明
日常のなかに突如として闖入してくる“鮮烈な夢のイメージ”を作品へと昇華させるフリオ・コルタサル。実験的な語りの手法を用いて“自分の最も奥深い部分”を表現し、幻想と日常の交錯を多面的に描き出した傑作短編8つを収録。付録として白昼夢を見ているかのような3つの短編(『最終ラウンド』)に加えて、実践的な短編小説論(『短編小説とその周辺』)も併録。
著者等紹介
コルタサル,フリオ[コルタサル,フリオ] [Cort´azar,Julio]
1914年、ベルギーのブリュッセルに生まれる。1918年、両親とともにアルゼンチンへ戻り、幼少から読書三昧の日々を送る。1937年から45年までの地方教員時代を経て、すこしずつ詩や短編小説の創作を手掛けるようになる。1951年、短編集『動物寓意譚』を発表した後にパリへ移り、以降1963年発表の『石蹴り遊び』でラテンアメリカ文学のブームに合流し、多くの作家と親交した。1960年代後半以降は、キューバ革命政府を積極的に支持し、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線を支援したほか、軍事独裁政権反対運動に加担したが、晩年まで秀作を書き続けた。1984年、パリに死去
寺尾隆吉[テラオリュウキチ]
1971年、愛知県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、フェリス女学院大学国際交流学部准教授。専攻、現代ラテンアメリカ文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
41
あまりラテンアメリカ文学らしくないな、と一読して思った。現実と幻想がいつの間にか入り混じって、気が付けば反転している。そんな感覚を味あわせてくれるのが、南米のマジックリアリズムだと思っていたけど、これはなんというか普通の小説といった趣。わずかに「セベロの諸段階」や「旅路」がその感覚を思い起こさせてくれるくらい。特に前者は著者のかつての作品に勝るとも劣らない出来だけど。こちらの方で勝手に期待値上げすぎていたのかなあ。かつての著者のめくるめく作品を読んで衝撃を受けた身としては、何とも寂しいものがあるんだけど。2014/10/12
ドン•マルロー
28
八面体ーー八つの異なる面がかたちづくる一個の概念。全てが異なる表情をたたえているのに、一個の概念に収斂し得るという矛盾。しかもそこには奇妙な調和さえ醸成されている。”こちら”に立てば決して”あちら”を望むことはできない。同様に”あちら”に立てば”こちら”を望むことはできない。むろん複数の面を同時に眺めることなど土台不可能である。しかしどこの面から眺めるべきかと迷う必要はない。それは八面体なのであって、それ以上でもそれ以下でもないからだ。どこから眺めようと、あなたの前には一個の八面体がただ厳然とそこにある。2016/11/21
zumi
21
「文学青年」としてのコルタサルが残した最後の短編集。訳者あとがきと、「短編小説とその周辺」から読むのがオススメ。伝説的な人物像をめぐる、「手掛かりを辿ると」が読み応えがあって、良かった。「旅路」の会話の掛け合いも中々。2014/09/30
きゅー
18
奇想天外な物語が特徴のコルタサルだが、本作でもその楽しさは遺憾なく発揮されている。彼の物語では、突飛な出来事が起きるが、その結末の多くが読者に委ねられており、彼ら登場人物のその後を想像する楽しみにあふれている。いずれの物語でもストーリー展開の面白さだけではなく、それらから受ける余韻が美しい。かと思えば「旅路」のような小咄も捨てがたい。夫婦の会話のズレ、ちょっと邪魔者の駅員、脇役の青年など誰もが本当に良い味を出している。駅に行って切符を買うだけの短編をこんな風に味付けできるのは天性の物語作家だからだろう。2017/05/18
maimai
13
併録された「短編小説とその周辺」に示されたコルタサルの短編小説観は壮絶で、「短編小説の名手」にふさわしい。しかし、実作品との対比で考えると、その、身を削るような執筆姿勢を突き詰めた結果行き着いたのだろう「八面体」の諸作には、小説の世界に浸りにくい面あり。時期的にはそれよりも前の作品となる「最終ラウンド」の3作の方が、僕の知っているコルタサルに近くて好みだ。とくに「シルビア」は、単にアイディアストーリーとしてのみこれを読むならば、ありきたりの話と言えなくもないが、見事な結末。2018/07/04