目次
第1章 赤軍派議長、獄中二〇年(塩見孝也)(戦後民主主義を「希望」として教育された;大学に入学し五月には社学同に加盟;第二次ブント結成と全学連再建大会;六九年に赤軍派を結成、前段階武装蜂起へ;よど号ハイジャックは大菩薩の敗北の総括;「赤軍派罪」で獄中二〇年)
第2章 全共闘の魂はアラブを駆け巡った(重信房子)(小学校の先生になって、小説を書きたかった;負けた方に肩入れするたちで、ブントに加わった;神田で初の「カルチェ・ラタン闘争」を展開;党内闘争から赤軍派結成へ、齢を重ねて思うこと;パレスチナ解放闘争は国際根拠地そのものだった;「連合赤軍事件」の誤りはどこにあったか;パレスチナの戦いの側に溶解しても、と闘った;憲法第九条に徹底したパラダイムチェンジを;七二年リッダ闘争は日本赤軍を誕生させた;思想闘争の役割と限界;現実的な社会変革への地道なかかわりを)
第3章 全共闘運動からレバノンの戦場へ(和光晴生)(六七年一〇・八羽田闘争に衝撃を受けた;バリケードの中で送った学生生活;「連合赤軍」事件によって喪失感にとらわれた;文字通り決死のリッダ空港銃撃戦の闘い;二五歳の決断、そして二つの作戦を敢行;「日本赤軍」からの脱退をめぐって;レバノン南部戦線でコマンドとして活動;「日本赤軍」の限界はどこにあったのか;堀の中を「持ち場」と心得て、しつこく長生きしてやる)
第4章 アラブの生活文化は異質なものにも温かい(足立正生)(戦後民主主義思想にそって成長;日大芸術学部に入学し六〇年安保闘争を闘う;『椀』で学生映画大賞を受賞;鈴木清順問題共闘会議を結成;『略称・連続射殺魔』から『赤軍―PELP・世界戦争宣言』へ;パレスチナ共同体と武装闘争;レバノンの刑務所で
著者等紹介
小嵐九八郎[コアラシクハチロウ]
1944年、秋田県生れ。作家・歌人。早稲田大学の学生時代に学生運動に身を投ずる。1994年、『刑務所ものがたり』で吉川英治文学新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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