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出版社内容情報
沖縄戦でどれほどの人の命が失われたか、それを目で確かめることの出来る場所が、沖縄県・摩文仁の丘の下に創られた「平和の礎」です。沖縄戦からちょうど50年、1995年6月23日に除幕されました。「いしじ」とは「いしずえ」のこと。20数万の人の命を「礎(いしずえ)」として、その上に揺るがぬ平和を築こうという誓いを込めて創られました。
国籍や軍人、民間人の区別なく戦没者の氏名を刻銘した「平和の礎」は、完成・除幕後、国内外からの参観をはじめ、毎年開催される全戦没者追悼式での平和発信拠点、多くの沖縄県内外からの平和学習・観光の場として、大きな役割を担ってきました。
しかし、一方では、「平和の礎」を後世に語る後継者の育成、朝鮮半島戦没者の刻銘名簿の遅れや、沖縄戦の実相の解明という面では、課題も残されていると感じる部分もあります。
建設時に携わったメンバーを中心にして、2019年9月に結成された「沖縄『平和の礎』の会」と連携して、「平和の礎」が果たしてきた役割をさらに継承発展させ、残されている課題にも対応する意味で、建設の経緯や一般に知られていない事柄などを網羅しながら、沖縄の日本復帰50周年となる2022年、“沖縄のこころ”を伝える「平和の礎」の全貌をここに明らかにしたいと思います。
内容説明
沖縄戦全戦没者を国籍や軍人、民間人の区別なく刻銘した「平和の礎」。この壮大な平和発信拠点の理念、建設経過、果たした役割、今後の継承発展を創設当時の当事者が検証する!
目次
第1章 「平和の礎」―構想から建設まで(大田知事誕生;平和推進という名の行政;戦後50周年記念「平和の礎」建設へ;沖縄県内出身戦没者名簿の整備;県外・外国出身戦没者名簿の整備;「平和の礎」ハード事業の全貌;「平和の礎」建設への難題、課題への対応;感動の「平和の礎」除幕式典;戦没者の魂が宿る「平和の礎」;大田知事の平和社会構築への執念;沖縄県民のヒューマニズムを世界へ)
第2章 研究者の立場から「平和の礎」に関する所論(三位一体の一つだった「平和の礎」;「平和の礎」への批判に応え;「平和の礎」の除幕がもたらしたこと;参拝か参観か―「平和の礎」の機能と役割)
第3章 「平和の礎」建設に関わった人たちの思い(「平和の礎」余話;「平和の礎」と除幕式典;「平和の礎」開園式典を受託して)
資料編
著者等紹介
高山朝光[タカヤマチョウコウ]
1935年、本部町伊豆味に生まれ、羽地村(現名護市)出身。沖縄「平和の礎の会」会長、アジア太平洋多文化協働センター設置構想委員会共同代表。NHK沖縄放送局副局長、沖縄県知事公室長、沖縄県政策調整監、沖縄県信用保証協会長、那覇市助役などを歴任。受賞「第54回琉球新報賞」など
比嘉博[ヒガヒロシ]
1951年、北中城村喜舎場に生まれる。沖縄「平和の礎の会」事務局長。1975年沖縄県庁採用。「平和の礎」建設事業に計画段階から除幕まで参画する(1992年~95年)。宜野湾市基地政策部長を経て、沖縄県監査委員事務局参事で退職。(一社)沖縄県中小企業診断士協会で中小企業支援業務に携わる
石原昌家[イシハラマサイエ]
1941年、台湾宜蘭市生まれ、那覇市首里出身。沖縄国際大学名誉教授。沖縄戦の調査、研究を続ける。元「平和の礎」刻銘検討委員会座長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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