目次
新しい雑誌に寄せられた思い
書くことが生きる証だった石牟礼さん
石牟礼道子 田中優子 対談1 近代的自我から生命の共同体へ
石牟礼道子 田中優子 対談2 毒死した万物の声に身悶える
道子さんが逝ってしまった。
著者等紹介
石牟礼道子[イシムレミチコ]
1927年熊本県天草郡宮野河内村(現・天草市)に3月11日、生まれる。生後まもなく、水俣町(現・水俣市)に移る。1956年水俣病公式確認。1958年谷川雁らの「サークル村」に参加。文学活動を始める。1968年日吉フミコらと水俣病対策市民会議(後に水俣病市民会議)結成。国が水俣病を公害認定。1969年水俣病第一次訴訟提起。1973年水俣病第一次訴訟判決(チッソの過失を認定)。1993年『週刊金曜日』創刊に参加。編集委員を約1年務める。2018年2月10日、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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