内容説明
国も石川県も金沢市も、もっと変わらなきゃならん。バトルトーク&エッセー。
目次
第1章 古い県政をぶっ壊す―対談 馳浩×岡田直樹(「番犬」と呼ばれ激怒;奥田党は自民党;「馳建戦争」の始まり ほか)
第2章 20年後の国家かくあるべし―対談 馳浩×山本一太(人事権が政治を変える;教育に必要な国家戦略;「イイクニ」より分析・読解・表現力 ほか)
第3章 金沢は文化の力で興せ―対談 馳浩×山出保(エネルギーにも煩わしさにも;発信力は学都の魅力;新しいことをしないとよくならない ほか)
著者等紹介
馳浩[ハセヒロシ]
1961年富山県小矢部市生まれ。専修大文学部卒。衆院議員、元プロレスラー。星稜高入学後、アマチュアレスリングを始め、高校3年時に国体優勝。専修大でレスリング部主将を務める傍ら、高校教員免許(国語科・書道科)を取得。母校星稜高で国語教員として教鞭をとる。84年ロス五輪アマレス・グレコローマン90キロ級に出場、その経験から「勝つためだけでなく、人に感動を与えるためにスポーツをしたい」と決意し、翌85年、長州力率いるジャパンプロレスの門を叩き、プロレスラーに転身。その後、新日本プロレスの中心選手として活躍した。95年7月に異色の経歴をひっさげ参院選石川県選挙区に自民推薦で出馬、現職粟森喬氏を破って初当選。その後に自民入党。2000年には衆院選石川1区の自民の「救世主」として参院から鞍替え出馬し、奥田建氏を破り県都に自民議席を確保。03年9月には文部科学政務官に就く。しかし同じ03年11月の衆院選石川1区では奥田建氏に無念の敗北を喫し、比例代表北陸信越ブロックで復活当選。05年9月のいわゆる郵政解散に伴う衆院選石川1区で、比例重複立候補を辞退し、退路を断ってリベンジへ。約3万漂の大差をつけて奥田建氏を退けた。05年11月から文部科学副大臣を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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