清沢洌選集

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清沢洌選集

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  • サイズ A5判/ページ数 8冊/高さ 22cm
  • 商品コード 9784820582496
  • NDC分類 308
  • Cコード C3331

出版社内容情報

■編集・解説
山本義彦(静岡大学人文学部教授)
■セット本体130,000円
■体裁A5判上製函入・総頁約4,350頁

編集方針と特色
1.三〇冊を超える著作の中から、清沢洌の時代時代を代表する著作(単行本)をほぼ刊行順に収録。著者初の選集。
2.復刻に当たって、新たに山本義彦による各巻解題と清沢洌の生涯と思想の全貌を明らかにする解説を付す。
3.主要著作を含む年譜を編者により新たに作成。

清沢洌(きよさわ きよし)
大正・昭和時代前期のジャーナリスト、外交史家。
明治二三年(一八九〇)長野県北穂高村に生まれる。
小学校卒業後、研政義塾に入り、同三九年渡米。
帰国後、「中外商業新報」「朝日新聞」に入社し、外交・政治の評論に健筆を振う。
その後、欧米各地を訪問する。
昭和一三年、石橋湛山に請われて「束洋経済新報社」顧問となり、自由主義的言論を発表する機会を得る。
同一六年「外交史」を刊行。
同二〇年、五五歳の若さで急逝。
「米国の研究」「暗黒日記」など著書多数。

『清沢洌選集』刊行にあたって
山本義彦(静岡大学人文学部教授)
清沢洌は一八九〇年(明治二三)、信州南安曇郡北穂高(現在の穂高町)に生まれ、一七才から約一〇年間、アメリカのシアトルに近いタコマを中心に労働移民として渡米した。
その後、米騒動期の日本に帰り、ジャーナリスト、フリーランサーとして自由主義と反戦平和を唱える論説や三〇冊を越える膨大な著作を著し、特に戦時下の記録として貴重な『暗黒日記』(原題「戦争日記」)を残した。
彼の思想は、内村鑑三とも親交のあった井口喜源治という、希有な自由主義的教育の祖に学んだ。
井口は無教会派クリスチャンでありながら、儒教をもよく学び、「和服のキリスト者」と呼ばれてきた。
清沢は渡米後、シアトルのワシントン州立大学に職を持っていたジョン・デユーイの自由主義とプラグマティックな教育観をも吸収し、自らを「昭和の吉野(作造)博士」として、「総合の学」たる国際関係論、日米外交関係に目を向けた研究を行った。
そしてその成果を生かして、各地での啓発のための講演活動や、しばしば海外の現場を歩いては、膨大な著述を残した「吉野博士」こそは東京帝国大学教授として大正デモクラシーの旗手であった。
清沢洌の考え方は、国際平和を実現するには、諸国間の外交交渉において、多様な文化と歴史を前提とした相互理解の重要性と、相対主義的発想の意義を訴えた。
そのためには一方的価値観を注入する近代日本の教育と政治の在り方を根本的に転換することの重要性、「教育の国有」「一律総体主義」の意識変革の必要性を強調した。
そして社会の半数を占める女性を男性と平等の正当な地位を与えることなしには民主主義が保障されないこと、来るべき戦後の国家原理は言論の自由が保障され、男女平等の実現こそが不可欠であること、軍国主義の跳梁を許す天皇制のあり方を変革することをも示唆した。
これらの諸見解は見事に戦後の平和国家、民主主義国家建設の前提として充分に顧みられるべき内容を豊富に織り込むものであった。
このように、先進的な思想を獲得した清沢は、戦後の国際平和実現のための国際連合に関しても、諸国間の対等平等の実現、強大な諸国による拒否権の不当性、戦勝国による敵国条項の撤廃など、米ソ冷戦体制以後の今日求められる国連改革論にも通じる先見的な見解を表明して、戦争末期の一九四五年五月惜しくも五五才の若さで急逝した。現在、二一世紀を前に、これらの思想は私たちによって一層磨きがかけられ、発展させられなければならない。

推薦のことば

第一級のジャーナリスト
田中浩(一橋大学名誉教授)
清沢洌は日本が軍国主義への道を突っ走り始めた一九三〇年代に、長谷川如是閑、石橋湛山らの自由主義知識人と「二七会」(一九二九年八月二七日)を作り、軍閥・官僚の危険な動きを批判し続けた国際的感覚豊かな第一級のジャーナリスト、思想家である。
日米開戦勃発の翌年の一二月から、彼は「戦争日記」(戦後『暗黒日記』として出版)をつづり、戦後日本における国家再建の反省材料としようとした。
恐るべき卓見である。
しかし、敗戦の三ヵ月ほどまえ、肺炎がもとで急逝し、この日記は中断された(五月五日)。
今回、かれの思想的根底を知ることのできる貴重な諸著作全八巻が刊行されることになった。
誠に意義ある事業といえよう。

清沢洌の不朽の名作
増田弘(東洋英和女学院大学教授)
今日、清沢洌は戦前・戦中期の数少ない真のリベラリストとして広く知られる。
しかしファッショ的思想全盛の当時にあっては、清沢の言論は異端視され、彼の論文を掲載する雑誌もなく、孤立状態にあった。
この清沢を招請したのが東洋経済新報社の石橋湛山である。
以来ふたりは盟友となった。昭和十八年末の清沢の『暗黒日記』には、「戦争を世界から絶滅するために、敢然起つ志士、果たして何人あるか、われ少くもその一端を担わん」とあり、彼の苦痛な叫びが聞こえてくる。
この度、山本義彦教授により、清沢の不朽の名作が復刻される。
そのリベラルかつ精緻な日本外交史論に学ぶべきものは大きい。

『清沢洌選集』を推薦します。
坂本義和(東京大学名誉教授)
武田清子(国際基督教大学名誉教授)
松尾尊兊(京都橘女子大学教授)
山住正己(東京都立大学総長)
牛山隆康(穂高町清沢洌顕彰会会長)
永沼孝致(穂高町清沢洌顕彰会事務局長)

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