内容説明
アルピニスト野口健はなぜ遺骨収集を始めたのか。戦没者遺骨収集の問題点を探る。
目次
第1章 信念(洞窟で聞いた「英霊の声」―2008年3月・フィリピン;遺骨収集の「原点」―2008年5月・日本;「レイテ島へ行きたい」…―2008年10月・フィリピン;“3度目の正直”で遺骨と帰国―2009年3月・フィリピン)
第2章 課題(「すべての兵士を故郷へ帰す」アメリカ;すそ野を広げ「国民運動」に;高齢化が進む遺族・戦友の慟哭;転機を迎えた政府の派遣団;今の平和と繁栄を築いた先輩に対する責任果たす)
第3章 願い(父よ、夫よ、兄よ;国は何をしていたのか;「火」がつき始めた―2009年夏・フィリピン)
著者等紹介
喜多由浩[キタヨシヒロ]
産経新聞編集局文化部編集委員。昭和35(1960)年大阪府出身。立命館大学卒。59年大阪新聞社入社、平成5年産経新聞に移り、社会部次長、月刊『正論』編集部次長などを経て、21年7月から現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Wisteria
8
この本では野口氏は謂わば広告塔のような存在で、実際は野口氏の所属する空援隊の倉田氏が中心人物と見える。またこの倉田氏をはじめとする空援隊がめちゃめちゃ凄い。成果の上がらないやり方をダラダラと続けるだけの国に業を煮やし、独自のシステムを作り上げ、それがきちんと国際的にも通用して機能している所に思わず興奮した。ほとんどの日本人が無関心の中、一部の人達の努力や情熱だけで取り組むには大き過ぎる事柄だと思う。アメリカのようには出来なくても、戦後生まれの世代が自分達の課題として捉える事が必要なのではないだろうか。2016/04/07
koorong
3
☆☆☆☆☆ ヒマラヤで遭難しそうになった時、頭に浮かんだのは祖父から聞かされた戦地に残された兵士達。死へのハードルは低いのに、日本へ帰るためのハードルは理不尽なほどに高い。しかし彼が参加した途端に事態は急に回り始めた。先の大戦で亡くなった方の遺骨は未だ半分が未帰還である。自分もJYMAという組織に寄付をしたりしたが、野口氏のような行動力はない。今後の彼の活躍に期待するとともに、自分に出来ることを模索したい。2010/02/09
mytee
2
戦争に行くハードルは低く、帰ってくるハードルは高い。私の大叔父にも南方で亡くなり、遺骨が帰って来ていません。桐の箱に紙一枚で亡くなったことだけ知らされたそうです。叔父さんの写真は私に似てるけど、私よりはるかに若い青年のままです。戦争は終わったけど、遺族にとって、また未帰還の英霊にとって、戦後は終わっていないと思いました。すべての戦没者に国へお帰り頂く、国民が感謝を持ってお迎えする、そうなった時に、日本の戦後は終わり新しい一歩を踏み出せるのでは?2012/09/07
バーベナ
1
終活の一環として遺骨の捉え方を考えたくて手に取った。が、日本で亡くなるのと、国のために亡くなり未だ帰国することができない英霊とは、そもそも前提条件が違う。頭を切り替えて読む。読んでよかった。知ることができてよかった。日本を守る。家族を守る。英霊を敬うことは、今の日本なら自衛隊を敬う事につながる。過去でなく、未来に繋がっている。遺骨が到着した場面は心に深く刺さった。温かく感謝をもって迎えたい。2022/01/27
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- 和書
- 対論たかが信長されど信長