内容説明
正義は暴走しないし、人それぞれでもない。「正しさ」をめぐる会話の事故はいかにして起こるのか。言語哲学から「正しいことば」の使いにくさの根源を探る。
目次
序章 正しいことばの使い方
1 「正義」というテクニック(「正義」の模範運転とジョン・ロールズ;「正義」の前提としての「公正」;道徳教育と「正しいことば」の危険運転;「道徳としての正義」とトランプ現象)
2 「正しいことば」のよりどころ(「会話」を止めるとはどういうことか;「関心」をもつのはいいことか;「自由」を大切に使う;わたしたちの「残酷さ」と政治)
3 「公正」を乗りこなす(理論的なだけでは「公正」たりえない;「公」と「私」をつらぬく正義;「公正」というシステムの責任者;正義をめぐって会話する「われわれ」)
著者等紹介
朱喜哲[チュヒチョル]
1985年大阪生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。前者ではヘイトスピーチやデータを用いた推論を研究対象としてあつかっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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はっせー
52
難しい内容であるが、読めて良かったと思う作品であった!本書はジョンロールズとリチャードローティという2人の哲学者の理論を元に話が展開されていく。キーワードは「会話を止めるな」ではないかと思う。昨今インターネット上などで論破が流行っている。これは会話を止めるわかりやすいものである。さまざまな理論などを使って現状を分析し、解決への糸口を探したい。2024/09/18
特盛
23
評価3.8/5。読書会テーマ本。著者は100分で名著のリチャード・ローティの回を担当。今回は正義論におけるロールズの概念を軸とした正義の言葉遣いに関する考察。功利主義でもなく、道徳的正義でもなく、リベラルな正義の手続きがポイントだ。善の構想でなく、公正なプロセスで調停された合意、その構想が正義とする。積極的無関心、消極的自由、残酷さへの合意としてのリベラル(シュクラー)、公私の区別(ローティ)などが紹介される。正義の議論の場で会話を終わらせないことを優先目的とし、事故(会話の終了)を防ぐかが本書の主眼だ。2024/06/28
ほし
14
ロールズ、ローティらの哲学者を参照しつつ、「正義をめぐる会話」を指向する一冊。「正義」のような日常的に使いづらい「正しいことば」を、どうしたら何とか使いこなせていけるのか。筆者はロールズの議論をもとに、「正義」は個々人の「善」とは異なるものであり、社会を成り立たせるために求められる条件とルールであるとします。個人的に印象深いのが「無関心」の重要性と「消極的自由」を論じた6、7章で、新たな視座を与えてもらえたように感じました。社会全体を不安が覆い、そこらじゅうで軋んだ音が聞こえる今、読めてよかった一冊です。2024/12/30
はとむぎ
11
ジョンロールズ曰く正義とは、公正を前提として、人間社会を上手く回していくためのもの。 日本の学校教育では、正義は個人の内面のものとして扱われている。 だから正義が相対的な物になってしまうと。 確かに一理あるかも。2024/01/07
リットン
8
正義の反対は別の正義、という言い方は、それっぽく聞こえるし、寛容で良い感じにも聞こえるけど、そこで会話が止まってしまうというの確かになぁと感じた。だからこそ、そこでいう個人の価値観みたいなものを正義とはあえて呼ばず、それらの価値観(善)をぶつけ合って、すりあわせて昇華させ、みなで追求していくものを正義と呼ぼうよ、といった感じかな。日本語って難しいなー。2025/01/08