内容説明
正義は暴走しないし、人それぞれでもない。「正しさ」をめぐる会話の事故はいかにして起こるのか。言語哲学から「正しいことば」の使いにくさの根源を探る。
目次
序章 正しいことばの使い方
1 「正義」というテクニック(「正義」の模範運転とジョン・ロールズ;「正義」の前提としての「公正」;道徳教育と「正しいことば」の危険運転;「道徳としての正義」とトランプ現象)
2 「正しいことば」のよりどころ(「会話」を止めるとはどういうことか;「関心」をもつのはいいことか;「自由」を大切に使う;わたしたちの「残酷さ」と政治)
3 「公正」を乗りこなす(理論的なだけでは「公正」たりえない;「公」と「私」をつらぬく正義;「公正」というシステムの責任者;正義をめぐって会話する「われわれ」)
著者等紹介
朱喜哲[チュヒチョル]
1985年大阪生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。前者ではヘイトスピーチやデータを用いた推論を研究対象としてあつかっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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はとむぎ
11
ジョンロールズ曰く正義とは、公正を前提として、人間社会を上手く回していくためのもの。 日本の学校教育では、正義は個人の内面のものとして扱われている。 だから正義が相対的な物になってしまうと。 確かに一理あるかも。2024/01/07
Bevel
5
シュクラーの「残酷さ」の客観性をヤングで引きのばすところ、言語哲学の観点を「思いやり」批判に使うところ、カヴェルによる「叫び」と「会話」の区別からのロールズ批判など勉強になった。細かいとこ突っ込みたくなるのよね。「推論主義」と「意味の使用説」を採用するとき、ロールズの正義という言葉を「大切に使おう」という提案の解釈は自明じゃないとか。社会を「みんなでとりくむ命がけの挑戦」と見なす一方で、そのルールを、ローティ的な「バザール」というビジネス空間によって定義しなおすとき、ロールズの意図を取り違えてないかとか。2023/09/05
そると
3
読後にとてもモヤモヤする。私はおそらく「コミュニタリアン」の思想が最もしっくりくる人間なので、その観点からモヤるのだろうな…。直観的に感じるのは、ロールズの正義論はSNS社会の発現で形成された「公」「私」のような特殊な世界を論じるのには最適なのだけれど、それ以上ではないと感じる。最後の、では「公正というシステムの責任者」は誰ですか、それはわれわれ一人一人なのです…って、そんなわけないだろ!一人一人が言葉の運用に細心の配慮を払いましょう、で終わりって、冒頭で批判してた日本の道徳の教科書と何も変わらんがな。2024/04/21
四不人
3
あまりこういう種類の本は読まないのだけど、考えるとこがあって読了。取り上げられているロールズは確かサンデルの師匠筋じゃなかったかな。内容は妥当なんだけど、最も関心があった「反・正義の指標としての<残酷さ>をどう評価するか」と「社会の構成員とは誰なのか」については曖昧なまま。まあ、それが明確にできるのなら現実の社会はもっとまともだろうから、当たり前なんだけど。でも、それが「正義を実装した社会」を作るには重要なんだよな。難しい。2023/12/16
manabukimoto
3
「正義論」のジョン・ロールズの考え方をもとに、現代日本いおいて、「正しいことば」をうまく乗りこなすための指南。 米大統領選での各陣営の言葉の選択(女性初の副大統領のカマラ・ハリスと、トランプ大統領との対比)や、日本の学校における道徳教育の言葉遣いの大広敷の広げ方など。 ロールズの掲げるJustice as Fairness(公正としての正義)は、みんなそれぞれの「善」the goodがあるけど、それらの対立を調整し共生するためのルールが「正義」。 出発点も到着点も一つではない。 大阪公立大図書館蔵書2023/11/29