内容説明
仏性とは「仏になれる可能性」などという、痛くも痒くもない他人事ではない。道元禅師の『正法眼蔵』の中でも最高峰とされてきた「仏性」の巻の真意を解き明かす。
目次
「仏性」という言葉について
一切衆生悉有仏性の章―仏性とは行きつく処へ行きついた生き方
当観時節因縁の章―疑っている時節そのものがやっぱり仏性だ
仏性海の章―山も河も畢竟帰運転の場としてある
汝何姓汝無仏性の章―クソまるけで寝ていても完結した自己だ
嶺南人無仏性の章―オレが意識しなくても息してる―びっくりしなくちゃ
無常仏性の章―二つに分かれる以前の深さで生き、死ぬ
身現円月相の章―坐禅そのものの姿がトホーもなく尊い
一切衆生有仏性の章―失敗してでもやるべきはやる、いつかやれていく
一切衆生無仏性の章―いまやるだけがやった、溜め置きはきかぬ〔ほか〕
著者等紹介
内山興正[ウチヤマコウショウ]
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ももたろう
28
正法眼蔵は難しい。印象的なのは、内山興正老師も、正法眼蔵を読み始めた頃「何がわからないのかもわからない」という状態だったいうところ。内山老師ほどの方でも最初はそうだったのだと。やはり何かをものにするには分からないものを嫌がらず探求し続ける事は必須だと感じた。あと、印象的なのは「心」とか「仏性」とか、こういう言葉一つとっても、深い意味があるのに、みんな分かった気になっている、という指摘。まずそもそも「仏性とは何か?」というところから掘り起こして明らかにするところから始めないと、という所も印象的2016/10/16
禿童子
17
106p/291pまで読み進んだ(読みあぐねた)ところで図書館の返却期限が来たのでいったん返す。正直いって『生死』の提唱よりも格段に難しいと感じる。「畢竟帰運転」とか「アタマ手放し」とか、内山老師独特の言葉で説明されてもその説明がまた理解困難という悪循環。道元禅師の言葉の中でも「仏性」は格別に奥の院ということか。何を言っても禿童子は門前に突っ立って中に入っていないので、またの再読を期すというところです。2017/08/09