内容説明
八百屋や魚屋に買ったものを忘れてくるようになった。それがはじまりだった。五十余年連れ添った妻が脳軟化症を病み、けんめいに介護する夫もがんにたおれる。貧窮と孤独のさなかで過酷な運命にさらされた老夫婦におとずれた至上の愛を描く。「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」そして感動の絶筆「そうかもしれない」にいたる不朽の名作3篇を収録。
著者等紹介
耕治人[コウハルト]
1906年熊本県に生まれる。1970年『一條の光』で読売文学賞。1973年「この世に招かれてきた客」を含む全業績にたいし平林たい子賞。1981年『耕治人全詩集』で芸術選奨文部大臣賞。1988年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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クリママ
49
料理ができなくなり、出来合いのものが多くなる。一人で入浴ができなくなる。爪が切れなくなる。それぞれの病が進めば仲良く暮らしてきた夫婦も一緒にいることができなくなる。認知症が進む妻との暮らしを描いた私小説であり、作家が80歳時の絶筆となった作品。既に心身の衰えをひしひしと感じるわが身の行末を見るようで、切なく、心細く、怖ろしい。妻の入浴を介助する。50年間支え尽してきてくれたその骸骨のようにやせ衰えた体を神々しく美しく思うという。そんな至高があるのか。品の良い文章、淡々と穏やかに綴られる言葉に胸が詰まる。2021/01/05
ころこ
23
不遇な作家人生の、それでも支えとなったのは、糟糠の妻でした。私の作家活動では到底生活していけないため、妻が働いて辛うじて保たれていた母子のような夫婦生活が、齢80にして母子の立場が逆転する事件が起こります。妻に頼っていた私は、妻が私中心にしてきた生活を、恥ずかしいくらい今さら驚き、ひとつひとつ、妻が辿った苦労を今度は私が経験していきます。本作にあるのは、描写によって何かをつくり上げる言葉の強さではなく、老いていくにつれ、少しずつ自分から剥ぎ取られていき、徒手空拳になっていく言葉の弱さです。作家として大成し2018/03/01
pirokichi
22
先月読んだ『ラジオの、光と闇』(高橋源一郎)で知った耕治人さんについて、偶々見たNHKの時をかけるテレビ『どんなご縁で~ある老作家夫婦の愛と死』(初回1988年放送)で更に知ることとなり、胸を打たれたので、命終三部作と言われ絶筆となった本書を取り寄せた。『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』の三作品。認知症となった妻の老々介護、妻の施設入居と著者の入院、病室での再会などが、過去を振り返りつつ朴訥とした語り口で描かれており、その哀切なまなざしがズンと胸に沁みる。解説は鶴見俊輔氏。2025/06/10
れい
6
過去に読んだことのある本だったが、自分が介護をする立場になって読み返してみると、これまで気付かなかったことがいくつか見えてきたように思う。典型的な老労介護だが、世間に溢れる「介護の悲惨さ」はあまり感じられない。最後は夫は病院、妻は介護施設に入ったけれど、悲しさや辛さを超えて「ああ、これも一つの事例だな」と不思議と納得させられてしまうものがあった。2012/09/30
ひろゆき
5
妻の呆けの進行と自分の病気のため、静かでつましい夫婦だけの生活がついに終了し、別々の施設へと分かれていく。淡々とした書き方だが、ものごとにこだわらなくなった晩年のためか、思いつくまま書いているようで、文章として分かりにくい個所もいくつか。伝わりゃ、いい、と言わんばかり。名を知らないものは聞いたり調べたりもせず何回も(?)で押し通す。知っても、意味がないからか。そのあたりの枯れ具合、孤独。作家って儲からないのねということがよくわかる夫婦の質素な金の使い方に、強くあこがれるが、僕には無理、無理。2012/05/23