内容説明
光秀が襲撃者であれば、信長の遺骸は手中にできた筈。なぜ秀吉は信長の遺骸が本能寺にないことを知っていたのか。大名物の楢柴肩衝茶入を博多の豪商島井宗室からゆずらせることをエサに、信長の眼をくらませ、無防備の本能寺におびき寄せ、明智をかたる暗殺軍団を動員して命を奪い、秀吉に天下を握らせるために「光秀を主殺し」に仕立てた神謀奇略の軍師とは―?その智謀は四五〇年後の現代の歴史学者まで化かし続けている。光秀の愛宕山参篭は中国遠征の軍資金調達のためだった。当時、伊勢、熊野、愛宕、いずれの神社も地域金融機関を兼ねていた…等々。歴史の定説が今、大きく転覆。
目次
第1章 「固定観念」としての「本能寺の変」
第2章 「明智光秀」への固定観念
第3章 信長の「御茶湯御政道」
第4章 「本能寺の変」への道程
第5章 「本能寺の変」
第6章 「本能寺の変」・拾遺
著者等紹介
井上慶雪[イノウエケイセツ]
1935年東京に生まれる。早稲田大学文学部仏文科卒業。株式会社電通入社。1978年井上デザイン事務所設立。拈華菴・茶道文化研究会主宰。華道・東池坊・茶花教授。剣道教士七段。居合道錬士六段。古流・小野派一刀流
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